沢松奈生子の夫・丹羽秀行もスポーツ好き!実家は代々続くテニス一族だった!

2019年4月23日 更新

沢松奈生子が結婚した夫や子供は?実家は代々続くテニス一族だった!

沢松奈生子が結婚した夫・丹羽秀行もスポーツ好き!子供はテニス選手になる運命!?

沢松奈生子は、伊達公子のライバルとして、1990年代の女子テニス界を率いた元プロテニスプレイヤーです。1998年に現役引退してからもキャリアは順調そのもので、後進の育成や情報番組のコメンテーターとして活動する中、2005年には結婚もしています。

夫・丹羽秀行は、沢松奈生子より7歳上で、当時は、洋菓子製造・販売会社「ピー・エムファクトリー」の役員として、ニューヨーク在勤でした。沢松奈生子とは知人の紹介で知り合い、お互いに尊敬できる点が多かったことから、交際に発展したといいます。

子供についての詳細は明らかにされていませんが、2017年2月現在、8歳になると思われる1人娘がいるそうです。沢松奈生子も夫も、大のスポーツ好きだということですから、娘は、すでにテニスを始めているかもしれません。沢松奈生子の血筋を受け継いだからには、それは逃れられない運命とも言えそうです。

沢松奈生子の実家は曾祖父から続くテニスの名門一家!両親、叔母はウィンドブルドンに!

沢松奈生子が生まれた沢松家は母方の実家で、曾祖父の代から続くテニスの名門一家。特に、沢松奈生子の両親の世代の活躍は顕著で、母・沢松順子の実妹・沢松和子は、日本人初のプロ選手であり、1975年のウィンブルドン女子ダブルスで優勝したこともある、テニス界のレジェンドです。

沢松順子も、沢松和子とペアで出場した1970年のウィンブルドン女子ダブルスで、ベスト8入りを果たしたトップ選手でした。さらに、父・沢松忠幸にも、1974年のウィンブルドン混合ダブルス部門に沢松和子とのペアで出場した経験があり、沢松奈生子の実弟・沢松登は、実業団で活躍するテニス選手。兵庫県西宮市にある沢松家には、贅沢にもテニスコートが設置されているそうで、沢松奈生子にとって、テニスは生まれた時からあって当然のものでした。

沢松奈生子の出身校やプロフィール!黄金時代を築いたテニス経歴とは?

沢松奈生子のテニスは海外仕込み!兵庫県の強豪校を経てプロの世界へ

沢松奈生子は、1973年3月23日生まれで、兵庫県西宮市出身です。父親の転勤のため、5歳から小学校5年生までをドイツで過ごしました。沢松奈生子のテニスの強さの理由には、早くから海外で仕込まれたこともあるかもしれません。出身校・私立夙川学院高等学校も、兵庫県西宮市にあるスポーツ名門校です。テニスでは、伊達公子の出身校・園田学園高校とともに、兵庫県トップ2を争う強豪校。

小中学時代から、ジュニアでは知らぬ者はなかったであろう沢松奈生子は、高校1年生の時に、プロアマの日本一を決める全日本テニス選手権に初出場し、史上2番目の年少優勝を果たします。その2年後には、女子プロのWTAツアー・シンガポールオープンで初優勝し、母・沢松順子と、その妹・沢松和子の出身校でもある神戸松蔭女子大学に進学。同時にプロ入りしました。

沢松奈生子は世界ランク最高位14位!伊達公子、杉山愛とのライバル関係が築いた黄金時代

沢松奈生子が活躍した1990年代の日本女子テニス界は、伊達公子や杉山愛といった世界のトップ選手たちがしのぎを削り合う、まさに群雄割拠の時代でした。沢松奈生子は、プロ生活10年にわたって世界ランク50位以内をキープし続け、最高で14位を記録しています。

グランドスラム大会でベスト4入りを果たし、世界ランク4位にまで上り詰めた伊達公子や、ダブルスでは全米オープン優勝の世界ランク1位、シングルスでも8位入りを果たした杉山愛に比べると、沢松奈生子は3番手という印象。世界ランク14位で見劣りしてしまうのですから、当時の日本女子テニス界が、いかにレベルが高かったのかが分かります。

沢松奈生子自身も、1995年の全豪オープンでベスト8入りを果たしており、1回戦で杉山愛を、3回戦では伊達公子を破るなど、ライバルとして遜色ない力量を見せました。この大会開催期間中に発生した阪神淡路大震災によって、沢松奈生子の家族は無事だったものの、兵庫県西宮市の実家は全壊したそうです。この時の沢松奈生子の活躍は、故郷の被災者たちに、大いに勇気を与えたに違いありません。

沢松奈生子はテニス普及者の鑑!錦織圭解説には松岡修造とは違う説得力があった

沢松奈生子は現在、「あさチャン!」「ちちんぷいぷい」などの情報番組のコメンテーターを務め、中でも、「テニスに関する解説が分かりやすい」と評判になっています。錦織圭の躍進によって、テニスに関する報道が増える中、沢松奈生子の冷静な勝敗因分析は、素人でも納得させられるものがあります。

錦織圭といえば、育ての親とされている松岡修造の熱い解説のインパクトも強いですが、”圭LOVE”の彼とは違い、沢松奈生子の場合は、絶賛しつつも厳しい意見を述べることも少なくありません。別のバラエティ番組では、小学6年生の時から錦織圭に可能性を見ていたという松岡修造の意見に反し、「只者ではないと思ったが、私は世界ランク4位入りするほどの選手になると思っていなかった」とキッパリ。

その上で、「錦織圭と松岡修造の違いは、4大大会でベスト8入りしたくらいでは、大偉業を成し遂げたように歓喜しなかったこと」と皮肉交じりにコメントし、バラエティ向けにほどよい波風を立てることもできてしまいます。そんな沢松奈生子が小学校時代にテニスを猛練習して巧くなったのは、当時の大会で優勝の常連だった、”新(あらた)くん”に片想いしていたからなのだとか。

テニスのトップ選手には、何か近寄りがたいものがあるものですが、沢松奈生子は、時折出る関西弁のせいか、理知的であっても、威丈高な空気を漂わせることはありません。錦織圭の活躍で、テニス人口が急増していると言われる中で、沢松奈生子のような育成者もまた、その入り口の敷居を越えやすくしてくれているのではないかと思われます。

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