中上健次は小説家として活躍していた!戦後生まれでは初の快挙とは!?
◆生年月日:1946年8月2日
◆死没:1992年8月12日
◆出身:和歌山県新宮市
◆代表作:岬(1976年)
◆第74回芥川賞受賞
中上健次は小説家として活躍していた!小説を書き始めたのは高校生の頃!
中上健次(なかがみけんじ)は、1946年生まれの小説家です。腎臓癌により、1992年8月に46歳という若さで亡くなりましたが、業界では今でも伝説の作家として語り継がれています。高校生の時に「俺十八歳」という小説を書き始めた中上健次。同作は、高校卒業後に会員となった東京の文芸同人誌「文藝首都」に掲載されました。
中上健次は早稲田大学受験のために上京したのですが、執筆活動を始めたことで大学受験を辞め、同人誌にエッセイや小説を投稿し続けていました。その作風は、アメリカの小説家ウィリアム・フォークナーの影響を強く受けていると言われています。
中上健次が戦後生まれの作家初の快挙!
中上健次は1976年、生まれ育った紀伊半島を舞台にした小説「岬」で第74回芥川賞を受賞。戦後生まれ初の受賞者ということでも注目されました。
中上健次は1973年以降に発表した「十九の地図」「鳩どもの家」「浄徳寺ツアー」の3作品が立て続けに芥川賞の候補に挙がっています。どの作品も担当編集者など周囲から最有力候補と言われていたにも関わらず3作とも受賞を逃し、4度目でようやく手にした栄誉によって、中上健次は人気作家として脚光を浴びるようになりました。
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中上健次の家族構成がスゴい!妻と長女は作家で次女は陶芸家!?
中上健次の家族構成がスゴい!小説の題材は複雑な家庭環境?
中上健次は、和歌山県新宮市の出身です。母には彼の実父と結婚する前に死別した夫がおり、前夫との間4人の異父兄妹がいます。そして、父が他の女性を妊娠させたことを理由に、母は離婚を決意。一人で中上健次を生み、行商をしながら子供たちを育てました。
中上健次が小学6年生の時、慕っていた12歳年上の異父兄が自殺。この出来事は彼にとって戦慄的な記憶となり、「岬」「一番はじめの出来事」などいくつもの小説に綴っています。中学生になると、母は中上健一だけを連れて再婚。そんな母をモデルにして書いた小説が1980年に発表した「鳳仙花」です。複雑な家庭環境で育った中上健次ですが、そういう境遇だからこそ題材が豊富にあるということを自負していたそうです。
中上健次の妻と長女は作家で次女は陶芸家!?中上健次の血はしっかり受け継がれている!?
中上健次の妻は、作家の紀和鏡(きわきょう)です。2人は同人雑誌「文藝首都」で知り合い、1970年に結婚しました。1985年に「Aの霊異記」で作家デビューした紀和鏡。ペンネームは中上健次が命名し、「鬼神伝説」など伝奇小説を数多く発表しています。
また、中上健次の長女は作家の中上紀(なかがみのり)です。2000年に発表した「彼女のブレンカ」ですばる文学賞を受賞。他の著書には「シャーマンが歌う夜」「月下の旅人」などがあります。
中上健次の次女は、陶芸家の中上菜穂(なかがみなほ)です。19歳で陶芸を始め、1998年に全国公募展「ビアマグランカイ2」で大賞を受賞。2004年に「秘密の小道具 陶芸コト始め」という著書を出版しています。若くしてこの世を去った中上健次ですが、その血はしっかり受け継がれているようです。
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中上健次の三部作とは!?芥川賞の受賞作「岬」の後に続編を執筆!
被差別部落での生活を語った「路地」
中上健次は、自身が生まれた被差別部落を作品の中で「路地」と書いています。複雑な家庭環境と、閉鎖的な被差別部落の存在が作品を執筆する上での基盤となった中上健次の代表作と言われる作品を紹介します。
芥川賞を受賞した「岬」の後に続編として書かれた「枯木灘」「地の果て 至上の時」を合わせて、主人公の名前の秋幸をとって「秋幸三部作」と呼ばれています。1983年に出版された「地の果て 至上の時」は、地区改良による路地=被差別部落の消滅を主題に、様々な呪縛から解き放された主人公・秋幸の姿が描かれています。
「秋幸三部作」以後に中上健次が執筆した長編小説「日輪の翼」「謳歌」「路地」は路地の消滅により故郷を離れ、各地をさすらう若者の姿を描いた作品です。1985年、中上健次は1980年に実際に起こった三重県熊野市二木島町の熊野一族7人殺人事件をモデルとした映画「火まつり」のオリジナル脚本を手がけました。同作はカンヌ映画祭に出品された他、毎日新聞映画コンクール脚本賞も受賞。また、映画の公開とあわせて原作も小説「火まつり」として出版されました。
「軽蔑」が映画化
80年代は精力的に作品を発表する傍ら、アメリカの大学で客員教授を務めたり、三島由紀夫賞、文學界新人賞などの文学賞で選考委員を務めたりと、多忙を極める日々を過ごした中上健次。1991年2月から10月まで朝日新聞で連載した「軽蔑」を翌1992年に文庫本として出版したのが、彼とって最後の長編小説になりました。2011年6月に高良健吾、鈴木杏のダブル主演で映画化された同作は、「路地」をテーマにしてきたこれまでの作風とは違ったものにしたいという思いで書かれた作品です。
中上健次が亡くなった後にはエッセイ集や発言集などが刊行され、2016年には、小学館が全21巻の中上健次全集を電子書籍で刊行しています。読んで楽しくなるような小説ではありませんが、生きるということ、人生について考える礎となる作品を、中上健次は数多く残しています。気になる方は、手にとってみてはいかがでしょうか。
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