織田信長の正室として有名な濃姫(のうひめ)。何度もドラマのモチーフとして描かれ、観月ありさや柴咲コウなど、錚々たる女優が濃姫を演じています。
戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した美濃国の戦国大名・斎藤道三(さいとうどうさん)の娘として知られ、織田信長に嫁ぎました。各説ありますが、織田信長の正室となったのは、政略結婚であったとする説が最も有力です。
◆死没:不明
◆生地:岐阜県
◆別名:於濃、帰蝶、胡蝶、鷺山殿
ドラマのモチーフとして描かれる濃姫の魅力
「美濃国諸旧記(みののくにしょきゅうき)」という史料に、濃姫は1535年生まれだという記述が残されています。これが正しいものであれば、濃姫は織田信長よりも1歳年下だったということになるでしょう。
濃姫はこれまであらゆるフィクション作品のモチーフに選ばれています。過去には2012年に放送された「濃姫」、同じく2013年放送の「濃姫II 〜戦国の女たち」。演じたのは、ともに観月ありさです。そして2014年にドラマが放送され、2016年には映画化もされた「信長協奏曲」では柴咲コウが帰蝶の役名で演じるなど、濃姫は歴史ドラマの登場人物としても身近な存在となっています。
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濃姫は歴史で美化された!?本名も不明
ドラマやゲームなどでも描写されているように、織田信長の妻・濃姫は壮絶な美人として描かれることが多くあります。ただ、濃姫に関して「美人であった」という明確な史料は残されておらず、自画像や肖像画のようなものもありません。
濃姫が美人であったかどうかは定かではありませんが、歴史上の有名な人物の中には、絶世の美男美女として伝わっている偉人もたくさんいます。一般的な例として、日本では志半ばで命を落とした非業な人物を美男美女として描くケースが多く見られ、もしも濃姫が夫・信長とともに本能寺で命を落としたとすれば、悲劇の女性として美人に描かれている可能性もないとはいえません。
名前に関しても、本名は「帰蝶」または「胡蝶」だったのではないかという説があります。「濃姫」という名前が一般的ですが、正式な名前ではないといわれています。
「絵本太閤記」や「武将感状記」など、あらゆる史料に記されている「濃姫」の名が知れ渡っていますが、濃姫とは「濃州・美濃国の女性」という意味の通称で、本来の名とは別のものです。
濃姫の最期は?早世説や生存説など諸説あり
織田信長と濃姫の間には子供ができなかったというのが通説ではありますが、それ自体もはっきりとした史料は残されていません。織田信長の子供は母親が不明とされているケースが多く、濃姫についても詳細は未だにわかっていません。
また、これ以外にも濃姫には謎が多く残されています。そのひとつが、織田信長が家臣の明智光秀に討たれた「本能寺の変」後の消息です。騒動に巻き込まれて亡くなってしまったのか、からくも難を逃れてしばらく生存したのか。史料にも記述が少ないために、離縁説、死亡説、早世説、戦死説、生存説など、まことしやかに囁かれている様々な仮説があります。
なぜ濃姫の最期についてこんなにも不明瞭なのかといえば、様々な史料には織田信長・濃姫の婚姻については記述があるものの、最期にどうなったのかという経緯は一切触れられていないためです。
結婚した頃から本能寺の変により濃姫の夫・織田信長が討たれる1582年までの間に、病気などの理由で亡くなってしまった説、本能寺の変後も生き延び、ひっそりとどこかで生きていたという生存説もあります。また、本能寺の変の間、濃姫自身も武器を持って戦った描写が残されている創作物もありますが、これは完全にフィクションです。ドラマや小説で描かれているだけのもので、史料にそのような描写は一切残されていません。
謎に包まれている部分が多く、現在も研究が続いている濃姫の生涯。2020年放送のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」は織田信長を天下人の座から追いやった明智光秀を主人公としたストーリーであることから、信長の正室だったとされている濃姫も、主要キャストに名を連ねています。
制作会見で濃姫役は沢尻エリカと発表され、2019年6月からすでに撮影もスタートしている「麒麟がくる」ですが、世間を驚かせた沢尻エリカ逮捕の報により彼女の降板は必至。代役により撮影済みのシーンも撮り直しとなるのか、NHKの対応に注目が集まります。思わぬニュースにより、2020年は再び濃姫がクローズアップされそうです。
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