山田美幸が水泳で銀メダル!生い立ちは?亡き父への思いとは

山田美幸の生い立ちは?障がいは生まれつき?水泳は喘息の対症療法としてスタート


山田美幸のプロフィール
◆生年月日:2006年9月15日
◆出身:新潟県
◆身長・体重:140cm・33kg
◆血液型:非公開
◆出身校:阿賀野市立京ヶ瀬中学校(在学中)
◆所属:Will Speed 新潟
◆2021年東京パラリンピック 女子100m背泳ぎ・50m背泳ぎ 銀メダル

山田美幸は生まれつきの障がいを乗り越えトップスイマーに

山田美幸(やまだみゆき)は両腕がなく、足も左右で長さが違うという障がいを持って生まれました。普段の日常生活では電動車椅子を使用し、時に足を使って器用に物を持って動かすことができるようです。

5歳で水泳を始め、小学1年生から地元新潟県阿賀野市のスイミングスクールで指導を受けるようになった山田美幸は2014年から競泳選手を目指し、本格的な練習をスタート。1年後の2015年には、身体障がい者水泳の全国大会で優勝するほどの実力を身に着けました。

その後も、パラスポーツの大会では国内最高峰に位置づけられる「ジャパンパラ競技大会」において、2017年に200m自由形で優勝。2019年には50m背泳ぎと100m自由形で2冠を成し遂げ、注目を浴びました。

2021年3月に開催されたパラ競泳の日本選手権では、50m背泳ぎで同年1月に出した自身の日本新記録をさらに塗り替えるなど、成長著しい山田美幸。期待の新星との呼び声が高い競泳選手の1人です。

山田美幸が水泳を始めたきっかけは?

山田美幸は小児喘息の対症療法として、5歳から水泳を始めました。

「水に潜ったときの静けさが本当に好きで、今日も頑張ろうって思える」という山田美幸がパラリンピック出場を目標に据えたのは小学4年生の時、2014年に開催されたリオデジャネイロパラリンピックを観たことがきっかけだったといいます。自分と同じように障がいを持つ選手たちが持てる力を振り絞って競いあう姿に「水泳で世界にお友達ができる。私も参加したいなと思いました」と、後のインタビューで当時の気持ちを明かしています。

日々の努力と練習で着実に力をつけ、1年後の2015年にはパラ競泳の全国大会で優勝するなど才能を開花。その後も成長を続け、日本選手団の中では最年少で東京パラリンピック競泳の代表入りを果たしました。

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山田美幸と亡き父のエピソードは?学校はどこ?進学の予定も

山田美幸は亡き父の支えでパラリンピックへ

練習の送迎をしていた山田美幸の父親は、試合の応援に行けない時でも必ず駅まで送り、励ましの言葉をかけていたといいます。

日々積み上げた練習により山田美幸は資質を認められ、強化指定選手として育てていきたいとの話が舞い込みます。そうなれば自ずと合宿や遠征が増え、重度の障がいがある山田美幸には厳しいのではないかという心配がありました。しかし協会関係者の熱心な説得に、山田美幸の父親は強化指定を受けることを決断。「皆さんがここまで言ってくれるなら、この船に乗ってみよう」と娘の背中を押しました。

山田美幸が水泳を始めた頃、よく「俺の前世はカッパだった」と和ませてくれていたという父親は2019年5月、肺がんで帰らぬ人に。しかし、山田美幸は悲しみを乗り越え、自ら「水泳を続けたい」と父親の他界から1ヶ月ほどで練習を再開したといいます。

2021年8月25日、山田美幸は東京パラリンピック競泳女子100m背泳ぎ(運動障がいS2)で銀メダルに輝く力泳を見せました。パラ競泳の世界で頑張る娘を生前から温かく見守っていた父親には、なによりもの贈り物になったのではないでしょうか。

山田美幸の中学校はどこ?大学進学でパリパラ五輪は辞退?

山田美幸は現役中学生で、生まれ育った新潟県阿賀野市にある阿賀野市立京ヶ瀬中学校に通っています。中学3年生で高校受験が控えているため、受験勉強をしながら水泳の練習にも励んできました。

そんな山田美幸は銀メダルに輝いたレース後、オンラインで祝福する萩生田光一文部科学大臣に将来の夢を聞かれ、「外交官に憧れています」と返答。夢を叶えるには、練習と勉強を両立する生活をこれまで以上に頑張らなければなりません。

3年後の2024年に行われるパリパラリンピックは、高校3年生で迎える山田美幸。受験時期と重なることもあり「出たいっていうのが正直な気持ち」としながらも、「ちょっとその時になってみないと分からない」と話しています。受験勉強に専念するためパリパラリンピック出場は見送るのか、それとも再び世界の舞台で戦うことを選ぶのか。パラ競泳界期待のホープ・山田美幸の進路に注目が集まります。

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山田美幸が水泳で銀メダル!100m背泳ぎに転向したのは最近?父への思いも

山田美幸が東京パラリンピックで銀メダル獲得!

山田美幸は2021年8月25日に行われた東京パラリンピック競泳女子100m背泳ぎ(運動障がいS2)にて、予選を全体の3位の2分34秒35で突破。決勝では2分26秒18と予選を大きく上回るタイムで泳ぎ切り、銀メダルを獲得しました。

レース後のインタビューで「とても興奮していて嬉しい。あと、とても楽しかったです」と感想を述べた山田美幸。東京パラリンピック2020のメダル第1号となった他、14歳でのメダルを獲得は、1984年のニューヨークパラリンピックの陸上視覚障がい者クラスで、銅メダルを獲得した島津良範を2歳下回る最年少記録となりました。

レース後に取材陣から聞かされて最年少記録であることを知ったという山田美幸は「とてもビックリしていますし、私だけの力じゃなくて、応援してくださる皆様の力もあってこそだと思っています」と、14歳とは思えないしっかりとしたコメントで支えてくれる周囲の人たちへの感謝を述べています。

山田美幸が自由形から背泳ぎに転向した理由とは?父への思いも語る

山田美幸は水泳を始めた当初、自由形の種目で大会でも優秀な成績を収めていました。しかし2020年2月、障がいのクラス分けがS3から1ランク障がいの重いS2に変わり、出場できる種目に自由形がなくなったことから背泳ぎに転向しました。

万一途中で取れてしまった時に自分で直せない鼻栓は使うことができず、鼻から水が入る背泳ぎは嫌いだったという山田美幸。それでもコーチ陣と試行錯誤して独自の泳ぎ方を編み出し、背泳ぎ転向から1年半後の東京パラリンピックでは世界と肩を並べるタイムで銀メダルに輝きました。

2019年に父親を亡くしている山田美幸は「天国があるなら自分のレースを見てくれているのではないか」と思いながら泳いでいたと、レース後のインタビューでコメント。また、「私もカッパになりましたと伝えたい」と続け、生前によく「俺の前世はカッパだった」と言っていた父親への思いを語りました。

2021年9月2日、山田美幸は50m背泳ぎで2つ目の銀メダルを獲得しました。14歳にして2種目での銀メダル獲得は、十分な快挙です。しかし、100mに続き50mでも両種目の世界記録、パラリンピック記録保持者であるシンガポール代表・ピン シゥ・イプに敗れた山田美幸は「金メダルを目指していたので少し悔しい」と語り、アスリートらしい負けん気の強さを見せました。

2024年のパリパラリンピック出場について、100m背泳ぎのレース後は「その時になってみないと分からない」とコメントしていた山田美幸。50m背泳ぎでもイプに勝てなかったことで闘争心に火がついたのか、あらためて出場の可能性を聞かれ、「大学受験と水泳の両立を目指したい」と答えています。パリパラ五輪までの3年間でさらにタイムを縮め、次こそ金メダルを勝ち取ってほしいものです。

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