山内圭哉が子役デビュー「瀬戸内少年野球団」感想あらすじネタバレ!
山内圭哉ってどんな俳優?子役デビューって本当?!
山内圭哉は目力が強く、演技に迫力のある俳優です。最近ではNHKの朝の連続ドラマ「あさが来た」に出演し、話題となっています。そんな山内圭哉のデビューが、実は30年以上前の映画「瀬戸内少年野球団」だったことをご存じでしょうか。デビュー当時、山内圭哉はまだ中学生。なんと山内圭哉は、子役デビューだったのです。
子役デビュー後の山内圭哉は、「暴れん坊将軍Ⅱ」や、NHK大河ドラマ「新撰組!」など、着物を来た時代の役も多くこなしています。また、遠藤憲一が主演を務めた「民王」では、強面刑事役を務め、演技力だけではなく、目力や気迫など全身にまとう独特の存在感も引き立っていましたね。
山内圭哉のデビュー作「瀬戸内野球少年野球団」感想あらすじネタバレ!
山内圭哉が14歳の時に「江坂タイガースのメンバー」役として出演した「瀬戸内野球少年野球団」。主演は、名女優の夏目雅子。その他の共演者には渡辺謙、島田紳助や郷ひろみもいました。この映画は、山内圭哉にとってのデビュー作でもありますが、実は渡辺謙にとっても映画デビュー作であったのです!
「瀬戸内野球少年野球団」は、終戦直後の淡路島が舞台となっています。
あらすじの始まりは、昭和20年の日本。夏目雅子演じる絢子は、山内圭哉演じる足柄竜太や、バラケツが通う小学校の先生。絢子は、新婚早々出征した夫の正夫が戦死したという知らせを受け、正夫の実家に住み続けるか悩んでいました。義理の両親は、弟で次男の鉄夫と絢子を一緒にさせようと試みます。
また、鉄夫もまた絢子を気に入っていたため、無理やり体を奪われてしまった絢子。しかし皮肉なことに、その翌日、死んだはずの夫・正夫が、片足を失った状態で島に帰ってきたのです。絢子は正夫に顔を合わせることができず、正夫は結局、島を後にしてしまいました。
同じ頃、バラケツの兄の二郎と愛人のヨーコが、戦争最中に成金となり、身なりも派手になって島に戻ってきます。二人は、絢子が担任を受けもつ教室にやってきて、キャンディーをばらまきます。争うようにキャンディーを拾う子供たち。それを見た絢子は、生徒たちに本当に大切なことを教えたいという思いから、野球チームを作ります。はじめは弱いチームでしたが、見様見真似で練習を重ねていきます。
夏休み、絢子はやっとのことで夫・正夫に会いに行き、許しを請い、晴れて一緒に住むことに。そんな時、島にやってきたアンダーソン大尉が、思い出にと、野球団との試合を申し込んできて……
山内圭哉のデビュー作である「瀬戸内野球少年野球団」は、夏目雅子の美しさに誰もが見惚れた映画としても有名です。夏目雅子の美しさについ見とれてしまうという感想が、今なお多くあります。ストーリーについては、戦後を忠実に再現していて、大げさすぎなくて良いという意見と、反対に物足りなかったという意見もありますが、昭和映画史に残る名作であることは間違いないでしょう。
山内圭哉が「あさが来た」で演じる雁助の役どころ感想あらすじ!
山内圭哉が「あさが来た」で演じる雁助の役どことは?
山内圭哉がNHK朝ドラ「あさが来た」で演じる雁助は、加野屋の大番頭です。主人の正吉の生き方に惹かれ、正吉のために加野屋を守ってきました。あさがやろうとしている新しいことにはとにかく反対で、炭坑や銀行設立には最後まで反対し続けた雁助。加野屋の後継者となった三男の榮三郎も従えたあさが、両替屋のお客から人気があることも不満に思っていました。
銀行設立計画が進む中、雁助は、あさの付き人のうめに惹かれます。うめの献身的な姿に惹かれ、一緒に加野屋から出て行こうと、うめを誘う雁助。うめは悩んだ結果、あさの付き人を続けることにしたため、雁助は、結局一人で加野屋を去ることとなりました。あさの考えや行動力には周りのみんなが驚かされ、振り回されてきましたが、常識や歴史を重んじるため、あさの行動に反対し続けたのが、山内圭哉が演じている雁助です。
山内圭哉が出演する「あさが来た」感想あらすじ!
山内圭哉が雁助役で出演している朝ドラ「あさが来た」の原作小説は、古川知映子の「小説 土佐堀川」。あさは、実在した広岡浅子という女性実業家で、とてもパワフルな女性でした。あさが嫁いだ両替屋の加野屋は、明治維新によって存続の危機。そんな中、あさは、新選組にも屈せず立ち向かったことで、加野屋の人々から一目置かれるようになり、義父の正吉から商いを学びます。
新政府の目指す方向に合わせた新しい商いが必要と感じ、炭坑に目をつけたあさ。炭坑事業はまだ日本で始まっておらず、商いとしても難しい中、九州の山で作業労働者との関係でも苦労します。さらに、ようやく事業が軌道に乗り始めたものの、炭坑現場で爆発事故が起こり、多数の犠牲者を出してしまいました。
加野屋としても大きな損害を被り、炭坑事業は終わってしまう中、あさが、次に目をつけたのが銀行。山内圭哉演じる雁助の反対が強かったものの、銀行事業を始めてみると、女性を雇うというスタイルが人気となり、大繁盛となるのです……
朝ドラ「あさが来た」では、あさが男性と相撲を取る場面や、大股で歩く場面など、当時の女性らしからぬパワフルな動きがあります。しかし、これらは、モデルとなっている広岡浅子が本当にしていたことだそうです。幕末から大正8年まで、時代の変化が激しい中、一人の女性が生き抜いていった様子はかっこよく尊敬に値するという感想も多いことが、高視聴率をキープし続けている理由の一つなのでしょう。
山内圭哉はバンド活動もしている?!
山内圭哉が1993年に大阪で結成したのが、バンド「The Jizz Monks」。山内圭哉は、ボーカルとギターを務め、ほかのメンバーは、Hiroshi Segawa(ベース)、Mahin(ギター)、nomi from peach(ギター)の4人です。「The Jizz Monks」結成当時は、山内圭哉がドレットヘアーをしているかと思えば、リーゼントをしているメンバーもいた異色バンド。見た目通り「何ものにもとらわれない音楽」をデーマとしていて、ジャズ、メタル、パンクなど、垣根を越えた音楽を作り、ハードコア、ハードロック、ミクスチャーなど、さまざまなジャンルのバンドと共演もしてきました。
1995年、ソングバードレコードのオムニバス『PLAIN ATTACK SHOCK』に2曲提供し、97年にスカラベレコードからファーストミニアルバム「THRASH JAZZ ASSASSIN」を発表した頃には、「The Jizz Monks」という名前を知らなかった人たちの間でも、さまざまなジャンルのテイストが感じられる楽曲の魅力が伝わり、次第に話題となっていきました。
1999年、マキシシングル「Angel with Vexation」をリリースし、2001年にはアルバム「from maximum love」もリリースしている山内圭哉の「The Jizz Monks」。現在、積極的に活動しているわけではない山内圭哉は、バンド活動を趣味感覚で行っているのだとか。本業ではないからこその楽しみ、人と人との繋がり合いが大切に思えるそうです。山内圭哉にとって、俳優業とバンド活動とは、相乗効果をもたらす、どちらも大切な表現活動なのでしょう。2014年に行った何年ぶりかのライブで「またライブをしたい!」と言っていた山内圭哉。次のライブがいつどこで行われるのかファンは楽しみにしています。