吉井理人の過去球団の成績は?古巣ロッテで1軍投手コーチに就任!!

吉井理人は結婚している!?経歴やプロフィールまとめ

吉井理人は“優勝請負人”の名投手だった!結婚はしているの?家族は?

吉井理人(よしいまさと)はNBAのみならず、メジャーリーグでも活躍した右腕の名投手です。優勝請負人と称されるほど、投手としての活躍はもちろん、引退後の解説者としての力量やコーチとしての評価も高いことで有名です。

1965年4月20日生まれで、和歌山県出身の吉井理人。家族構成などのプライベートは積極的に公表していないので正確なところはわかりませんが、2007年に「現役を続けると家族に迷惑が掛かる」と考えるようになり現役引退を発表しているので、結婚して家族がいるのではないかと思われます。

吉井理人のプロフィールまとめ!野茂直伝のフォークが武器!?

吉井理人の経歴を見てみると、ともかく経験や実績が豊富で驚かされます。ここではまず、吉井理人がプロ野球投手となるまでを簡単に紹介しましょう。

吉井理人は、和歌山県立箕島高校2年生で春のセンバツを経験し、準々決勝まで進みました。この時は控え投手でしたが、3年生の時はエースとして夏の甲子園に出場し、3回戦までを戦っています。

1983年にドラフト2位指名で近鉄バファローズに入団し、1985年に1軍初登板を果たした吉井理人。1988年に抑え投手として24セーブを挙げて最優秀救援投手に輝き、翌1989年にも20セーブと、2年連続で2ケタセーブを記録する活躍ぶりでした。

吉井理人が好成績を残した理由は、身長188cm、体重95kgという恵まれた体格から繰り出すキレのあるストレートと、“ドクターK”の異名を持つ野茂英雄から直接伝授されたフォークボール。吉井理人は馬主になるほど競馬が好きで、野茂英雄に競馬を手ほどきしたお礼としてフォークの投げ方を教わったと、野球雑誌の取材で明かしています。

また、吉井理人は中学時代、リトルリーグに所属しながら学校では陸上部で円盤投げの選手として活躍していました。近畿大会で2位になったこともあり、投手として長年活躍できたのは、円盤投げで鍛えられた強肩のおかげもあったといえそうです。

こちらもおすすめ:野茂英雄は日本人メジャーリーガー先駆者!高校時代は無名だった!

吉井理人のメジャーリーグでの成績とは?!過去の球団経歴もご紹介!

吉井理人はメジャーリーグでも活躍!日本人メジャーリーガーのパイオニアのひとり

吉井理人は、日本のプロ野球界では史上初となるFA権を1997年に行使し、メジャーリーグのニューヨーク・メッツに移籍します。メジャーデビューは、1998年4月5日のピッツバーグ・パイレーツ戦。この試合で7回を投げた吉井理人は3安打無失点の好投を見せ、初登板を勝利で飾ります。続く5月21日のシンシナティ・レッズ戦では最後まで投げ抜き、日本人のメジャーリーガーとしては野茂英雄に次ぐ史上2人目となる完投勝利を記録しました。

その後も、コロラド・ロッキーズ(2000~2001年)、モントリオール・エクスポズ(2001~2002年)と複数のチームを渡り歩き、日本人メジャーリーガーのパイオニアの一人として挑戦を続けた吉井理人。メジャー時代には2度の手術もあり、怪我と戦いながらの挑戦となりましたが、確実に後進への道を拓いたと言って良いでしょう。

吉井理人の激動の球団経歴を紹介!先発に懸ける熱い思い

近鉄バファローズ時代は抑え投手として好成績を収めていた吉井理人ですが、本人としては先発に懸ける熱い思いがあったようです。1995年にトレードでヤクルトスワローズに移籍した際は先発投手として3年連続の2ケタ勝利を挙げ、3年連続リーグ優勝・日本一に貢献しています。

その後、メジャー時代を経て2003年にオリックス・ブルーウェーブと契約し、日本のプロ野球界に復帰しますが、左足首の故障などにより成績が振るわず、翌2004年には戦力外通告を受けます。しかし、合併によりオリックス・バファローズとなったチームの指揮官となった仰木彬監督が球団に吉井理人を残すよう進言。これを受けて2005年の春季キャンプにテストという形で参加した吉井理人は見事合格し、再びオリックスと契約を結びました。

そこから吉井理人は再び調子を上げ、2006年には日本球界復帰後最多となる7勝をマーク。1997年以来9年ぶりとなるオールスター戦にも出場しました。そんな活躍もつかの間、2007年に中継ぎを求められたことで北海道日本ハムファイターズへ移籍。しかし1勝も挙げられず、戦力外通告を受けます。それでも諦めず、海外の球団も視野に入れて現役続行に意欲を見せていた吉井理人でしたが、家族への影響を理由に引退を決意します。

現役を引退した吉井理人は、2008年に梨田昌孝監督の元で北海道日本ハムファイターズの1軍投手コーチに就任。2012年に退団し、2013年から2年間は筑波大学大学院で野球コーチングを研究しながら解説者として活躍。2015年は福岡ソフトバンクホークス、2016年から2018年まで北海道日本ハムファイターズのコーチと、引退後も野球一筋の日々を送っています。

吉井理人が古巣ロッテの1軍投手コーチに就任!信頼厚いコーチングに期待

2019年シーズンもいよいよ開幕を迎え、盛り上がりを見せる日本プロ野球界。昨年10月16日に日本ハムファイターズを退団し、大学で研究の道に進むことも考えていたという吉井理人ですが、今季から古巣である千葉ロッテマリーンズの1軍投手コーチに就任し、注目を集めています。

千葉ロッテは吉井理人が現役最後に所属していたチームで、12年ぶりの球団復帰となります。今季監督2年目となる井口資仁監督をはじめとする球団からの熱心な誘いもあり、引き受けることを決めたのだとか。

コーチとして古巣へ戻ることに関し、吉井理人は「マリーンズは自分にとって現役最後に所属をしたチームなので、いつかお世話になったチームにコーチとして戻ってきたいという想いがあった」とコメントしています。また、「若くてこれからの選手が多いチームなので、彼らの成長をサポートできるように頑張ります」と意欲を見せる心強いひと言も。

大学院でスポーツ健康システムマネジメントを専攻し、2016年に体育学の修士号を取得した吉井理人のコーチング力には定評があり、信頼も厚いことは今までの実績で証明されています。「吉井理人コーチング論:教えないから若手が育つ」「最高のコーチは教えない」などの著書も出版している吉井理人。投手の持てる資質を引き出す最高のコーチングをしてくれそうで、期待が持てます。

アウェイでの6連戦を終えた4月8日、吉井理人は自身の公式ブログで6連戦を投げた投手一人ひとりの頑張りを労い、「若くてまだ修行中の投手が多いマリーンズ、大失敗もしますが少しずつ成長しています」と、若手投手陣に期待を寄せていました。今季の千葉ロッテは約50試合を終えた時点で下位に低迷中ですが、ここから踏ん張り、ファンの期待に応える成績でシーズンを終えてほしいものですね。

<こちらもおすすめ!>

藤原恭大を獲得したのは千葉ロッテマリーンズ!これからの好プレーが楽しみな選手
村田兆治はマサカリ投法の大投手!ロッテ一筋の野球人生を追う
成田翔は秋田県出身のプロ野球選手|成田翔の年俸や彼女がいるのかなど徹底解説!!

関連記事

ページ上部へ戻る