元谷芙美子がアパホテル社長になるまで!夫や息子は?ゴージャスすぎる自宅!

元谷芙美子がアパホテル社長になるまで!夫や息子は?ゴージャスすぎる自宅!

元谷芙美子がアパホテル社長になるまで!夫や息子は?

元谷芙美子がアパホテル社長になるまで!お飾り社長ではない!すごい実力

元谷芙美子とは、人目をひく帽子に派手なスーツがトレードマークのアパホテル社長。アパホテルの看板に燦然と輝くあの笑顔を誰もが一度は目にしたことがあるはずです。セレブの奥様がお飾りで社長をしている、と思われがちな元谷芙美子ですが、実際は違います。

元谷芙美子は、1971年、夫・元谷外志雄がたちあげた信金開発株式会社(現在のアパグループ)で、営業として活躍。トップの成績をあげて同社を大きく成長させ、実力で取締役となります。その手腕を買われ、夫から「お前、社長やれ。ホテルでお客をもてなすのは女将や」と、1994年にアパホテル社長に指名されます。

元谷芙美子の驚きの広告戦略。黒幕は夫・元谷外志雄!息子は?

アパホテル社長に就任した元谷芙美子がまずとりかかったのが、広告戦略でした。派手な衣装に身を包み、「私が社長です」のコピーをひっさげ、看板や新聞広告や中吊り広告に一斉に登場。あまりのインパクトに、本社には苦情が殺到したそうです。しかしそれは、元谷芙美子の目論見通りで、アパホテルの認知度は一気に上昇。実はその広告戦略を練った黒幕は、アパグループを一代で築きあげた夫の元谷外志雄でした。

ところで、アパグループが手掛けるのは、ホテル業務だけではありません。主な事業は、マンション開発を軸にしたディベロッパー。元谷芙美子との間にもうけた二人の息子も現在はアパグループを支えており、長男の一志は、アパグループの代表取締役社長を務めています。

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元谷芙美子の自宅や年収・資産は?謝罪会見した耐震偽装問題とは?

元谷芙美子のゴージャスすぎる自宅や驚きの年収・資産は?

元谷芙美子は、巨大なホテルチェーンをとりしきる女社長。年収はもちろん桁違い!バラエティ特番『とんねるずのみなさんのおかげでした秋の爆笑2時間半スペシャル』に出演した際には、ホテルの年商が「800億ある」と高らかに宣言した元谷芙美子。年収も、2012年の時点で5億5000万円、現時点では10億円ともいわれています。

元谷芙美子の自宅は、東京の西麻布にある、総額15億はくだらない3階建8LDKの豪邸で、東京タワーが一望できるジャグジーがあるそうです。資産もすごく、夫の元谷外志雄の総資産は2200億円で、全国4位になったことも。元谷芙美子は、家族で桁違いの稼ぎがあるわけです。

元谷芙美子が涙ながらに謝罪会見した耐震偽装問題とは?

元谷芙美子は、年商800億のアパホテルのカリスマ社長ですが、涙ながらに謝罪したことがあります。それが2007年に発覚した耐震偽装問題です。京都市にある「アパヴィラホテル京都駅前」「アパホテル京都駅堀川通」の構造計算書が修正されていたというこの問題。国土交通省の決めた耐震基準の7割程度しか耐震性がなかったというのですから、大問題です。このときばかりは、元谷芙美子もトレードマークの帽子を脱いで、夫の元谷外志雄ともに、「このようなことになって申し訳ありませんでした」と深く頭を下げていました。

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元谷芙美子のすごすぎるアパグループ細腕繁盛記

元谷芙美子は、これまで、北海道から沖縄まで全国津々浦々にホテルをかまえるアパホテルを1994年から支え続けてきました。そのスーパーウーマンぶりは、いつから備わったのでしょうか。
元谷芙美子は、1947年に福井県福井市に生まれます。戦後の食糧難で、食べるものにも事欠く時代でした。「生まれたときは『のしイカ』みたいやったらしいです。虚弱児で、親は育つ見込みはないと思って、棺桶を用意していたとか。それがここまで生き延びられただけでもラッキーですよ」と自ら語っています。しかも、1歳にして、自らが強運の持ち主であると信じるに足る出来事が起こったという元谷芙美子。福井大地震で自宅が倒壊するも、観音開きになっていた仏壇に守られ、助かったというのです。

奇跡的に生き延びることができた元谷芙美子は、その後は順調に成長し、福井県でも進学校で有名な福井県立藤島高等学校に入学。生徒会長も2度務め、放送部、陸上部、弁論部にも所属するという八面六臂の活躍ぶりだったとか。将来は、御茶ノ水女子大学に進学し、教師になるのを夢見たといいます。しかし、父親が亡くなった元谷芙美子は、進学を断念。地元の福井信用金庫への就職を決意します。そこで、生涯をともにするベストパートナーと出会うことになるのですから、元谷芙美子は、やっぱり強運の持ち主といえるでしょう。
元谷芙美子は、隣の石川県の進学校を卒業し、地元の小松信用金庫に勤めていた元谷外志雄と、組合活動の場で知り合います。付き合ううちに「すごい人なんやとわかってきたんです」と気づいたといいます。

1970年には二人は結婚。元谷外志雄26歳、元谷芙美子は22歳でした。翌年には元谷外志雄は金開発株式会社(現在のアパグループ)をたちあげます。これが、元谷芙美子のスーパーキャリアウーマンへの道のはじまりでした。起業当初、元谷芙美子は第一子を妊娠中。大きな戦力にはならないと思われる状況ですが、元谷芙美子は、経理や事務を手始めに積極的に仕事をしていきます。出産後は営業に出始め、成績はトップ。子育てや家事も両立していたといいますから、驚きです。夕方には家に帰って食事を作り、夜にまた営業へ出かけるというハードなスケジュールもこなしていたそう。

やがて、会社は大きく成長し、北陸を中心に事業を行っていたこともあり、バブルの荒波もかいくぐっていきます。バブル末期には、バブルの崩壊をいち早く感知して不動産を売り、被害を最小限に抑えることに成功。バブル崩壊後には、値崩れした不動産を、破格の値で買い集め、後の事業拡大につなげたというわけです。

1994年のアパホテル社長就任後も、元谷芙美子は、派手でエキセントリックな見た目とは裏腹に、女性らしい細やかな気遣いと、堅実な経営方針で、ホテルを成長させていきます。
元谷芙美子の成功は、パワフルなスーパーウーマンぶりと、冷静に経営判断を下す聡明な才女という二つの顔によってなされたといえるでしょうね。

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