野田秀樹 失明の原因は?現在の妻や家族は?大竹しのぶ、宮沢りえとの破局の真相

野田秀樹 失明の原因は?現在の妻や家族は?大竹しのぶ、宮沢りえとの破局の真相

野田秀樹 失明の原因は働き過ぎ?現在の妻や家族は?

野田秀樹は、東大中退で演劇界の超エリート、失明した理由とは

最近、60歳の還暦を迎える芸能人が多いようです。明石屋さんま、所ジョージ、桑田圭祐、竹内まりやなど、今も現役で活躍する彼らに、かつての還暦のイメージはありません。

そして野田秀樹もまた、今年12月に60歳を迎えます。野田秀樹は、2009年、東京芸術劇場の初代芸術監督に就任。東京都による演劇芸術の向上を担いながら、自らが主宰するNODA・MAPの芝居だけでなく、話題作を次々とプロデュースしています。1960年代から1970年代初頭、小劇場の演劇は、当時の学生運動と呼応して、既存の演劇界とは一線を画したアングラ演劇と呼ばれ、体制に批判的で過激な芝居が主流でした。そのような時代が収束していくと、演劇に独自のエンターテインメント性を求めたつかこうへいの芝居が、次世代を刺激します。そして野田秀樹や鴻上尚史など、独自の演劇を追及する、小劇場の第三世代が登場します。野田秀樹は1976年、東京大学の演劇研究会を母体に、劇団夢の遊眠社を結成します。そして1983年、「野獣降臨」で第27回岸田国士戯曲賞を受賞し、一躍演劇界の寵児となります。1987年と1990年にはイギリスのエディンバラ国際芸術祭、1988年にはニューヨーク国際芸術祭に参加。野田秀樹は、これら演劇活動の激務からか、病気で右目を失明します。そして1992年、「ゼンダ城の虜―苔むす僕らが嬰児の夜」の上演を最後に、劇団夢の遊眠社を解散します。野田秀樹が他のアングラ劇団の代表と違ったのは、これらの実績が評価され、1992年から1993年にかけ、文化庁芸術家在外研修制度の留学生として、官費で1年間ロンドンに留学したことです。帰国後、ワークショップを基盤に、劇団の枠にとらわれないで俳優を集めて芝居が上演できるプロデュース会社NODA・MAPを設立します。そして現代に至るまで、歌舞伎界の故中村勘三郎をはじめ、蜷川幸雄や三谷幸喜など著名演出家、脚本家、そして日本最高峰の演劇人たちと、仕事をしてきたと言っても過言ではありません。

野田秀樹 54歳でやっと手に入れた妻と子供、やすらぎの家族

野田秀樹は、夢の遊眠社時代に、劇団員だった女性と結婚しましたがすぐに離婚しました。1992年から5年間は、舞台「真夏の夜の夢」で知り合った大竹しのぶと同棲。けれども結局結婚には至らず破局しています。そして2005年、25歳年下の女優と結婚し、2009年、若い妻との間に子供が生まれています。しかし、この現在の妻や子供のことがあまり話題にならなかったのは、野田秀樹がすでに演劇界の重鎮となり、芸能人的関心が薄れていたからなのかもしれません。

野田秀樹 大竹しのぶ、宮沢りえとの破局の真相

野田秀樹 「魔性の女」大竹しのぶと同棲5年間、娘IMALUとの関係

野田秀樹はモテます。日本を代表する演出家であり、東京芸術劇場の芸術監督で、NODA・MAPのプロデューサー。悪く言えば、金と権力、知性と名声を合わせ持つ男といってよいでしょう。上昇志向のある女優たちが、野田秀樹に寄り添ってくるのも無理はありません。その際たる女優がふたり。大竹しのぶと宮沢りえです。まずは大竹しのぶ。彼女は見た目おっとりとして天然のようですが、その女優魂は、まさに「魔性の女」として凄まじいものがあります。舞台「真夏の夜の夢」で、野田秀樹と知り合った大竹しのぶは、まだ明石屋さんまと結婚していましたが、野田秀樹に猛アタック。明石屋さんまと離婚して、すぐに同棲を始めます。これにはさすがのさんまも、「真夏の夜の悪夢や!」と言ってあきれたとか。同棲していた頃、娘のIMALUは可愛い盛りで、野田秀樹はIMALUといっしょに暮せたことが、とても幸せだったと言っています。ある意味、さんま、大竹、野田秀樹の間で育った娘のIMALUは、なにかとたいへんだったことでしょう。野田秀樹と大竹しのぶは、結婚という話もありましたが、大竹しのぶには、さんまの前に結婚していたテレビ演出家の間にも息子がいて、さすがに3人も父親が違う子供ができてはと、家族や周囲から反対され、やがて同棲も解消されました。この破局、大竹しのぶがやっと野田秀樹を手放したといったところでしょうか。

スポンサーリンク

野田秀樹 宮沢りえとの秘められた関係

そして、もうひとりが宮沢りえ。北野武に憧れ、横綱貴乃花との婚約破棄、そして故中村勘三郎との道ならぬ恋と、宮沢りえもまた大竹しのぶと同様、恋多き女です。ただ彼女はそれら大物たちから可愛いがられ、自らの才能を伸ばしていった節があります。故中村勘三郎とも交流のあった野田秀樹は、2009年、NODA・MAPプロデュースの「ハイパー」に、宮沢りえと松たか子を抜擢します。しかしこの時、宮沢のお腹には、現在離婚協議中の夫との子が。野田秀樹の配慮と、松たか子の協力で、無事舞台を務めることができました。そして2003年、野田秀樹プロデュース、三谷幸喜脚本演出の「おのれナポレオン」では、主演の天海祐希が心筋梗塞で倒れ入院。舞台続行は不可能と思われる中、宮沢りえが、わずか二日で代役を務め、見事舞台を成功させます。これは「ハイパー」での野田秀樹の配慮に報いて、宮沢りえが恩返ししたと言われていますが、お互い大人として、深い信頼関係がなければ成り立たなかったことでしょう。演出家と女優という関係もまた、常人にはうかがい知れない深いものがあります。

野田秀樹 ピーターパンは地域社会に演劇芸術の普及を夢見る

野田秀樹は、この夏、話題作を東京芸術劇場で再演します。「障子の国のティンカーベル」。この芝居は、野田秀樹が25歳のお正月に3日間で書き上げた幻の一人芝居で、宝塚歌劇団出身の女優毬谷友子が、強くこの作品への出演を願い、上演が実現した作品です。2011年には紫綬褒章も受賞した野田秀樹。野田秀樹は、いったいどんな演劇をめざしているのでしょうか。彼は東京芸術座の芸術監督として、こんなことを語っています。「芝居が劇場という壁の中で終わっている。あるいは、そう感じさせる芝居が非常に多くなりました。客席に座っているお客さんが劇場の外を意識している、意識せざるを得ない時にこそ、演劇はもっと面白くなるんです」と。野田秀樹は、単なる天才演出家・脚本家であるだけでなく、敏腕プロデューサーとして、演劇芸術を1つの事業として成り立たせようとしています。劇場のある地元、東京都はいうに及ばす、演劇文化を広く社会の中に定着させていくという、それはそれは大きなビジョンです。当然、それは行政や興業ビジネスと関わり、一部にはその姿勢に批判もありますが、劇団夢の遊眠社解散以後の精力的な活動と、その衰えぬ創作意欲は賞賛に値します。野田秀樹は、今後も日本演劇界のリーダーとして、活躍し続けていくことは間違いないでしょう。

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

ページ上部へ戻る