山本篤は2020パラ陸上幅跳びで日本記録を更新!気になるプロフィールや結婚について紹介

山本篤は2020パラ陸上走り幅跳びで日本記録を更新!プロフィールを紹介


山本篤のプロフィール
◆生年月日:1982年4月19日
◆出身:静岡県
◆身長・体重:167cm・59kg
◆血液型:非公開
◆出身大学:大阪体育大学
◆所属:新日本住設
◆北京パラリンピック 走り幅跳び 銀メダル

山本篤は義足の日本陸上選手としては初のメダリスト!

義足の日本陸上選手としては初めてのパラリンピックメダリストである、山本篤(やまもとあつし)。最初に参加したパラリンピックは、2008年の北京大会です。100mで5位に入賞し、走り幅跳びで銀メダルを獲得しました。

さらに、2016年リオデジャネイロパラリンピックでも走り幅跳びで銀メダル、4×100mリレーで銅メダルに輝いています。

2021年に開催された2020東京パラリンピックは、100mと走り幅跳びの代表として出場。100mは、予選敗退という結果でした。

走り幅跳びは順位こそ4位でメダルは逃したものの、自身が樹立した日本記録を更新する6m75をマーク。進化し続ける姿で、テレビの前の観戦者にも強い印象を与えました。

山本篤は高校卒業後から陸上競技を始めていた!

山本篤は高校卒業後に、義足での陸上競技を開始しました。進学した日本聴能言語福祉学院義肢装具学科で学んでいた頃に、勧められたことがきっかけだったといいます。

2002年9月に開催された「関東身体障害者陸上競技選手権大会」で、当時の日本記録13秒86にあと0.2秒と迫る14秒06で優勝したことで注目を集めるように。

義肢装具士の国家資格を取得して就職先も決定しましたが、陸上競技を続けるために進路を変更。スポーツ推薦で、大阪体育大学体育学部に入学します。

大学在学中に記録が飛躍的に伸びるようになり、100mと走り幅跳びの日本記録を次々と塗り替え、活躍の舞台を世界へと移していきました。

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山本篤が結婚した嫁や子供は?事故後に放った驚愕の言葉とは?

山本篤は息子を溺愛!子供の記憶に残るためにまだまだ現役?

山本篤は結婚しており、味の素のYouTubeチャンネルでは妻と一緒に「勝ち飯」の動画に出演している姿を見ることができます。

2018年3月には長男が誕生。山本篤は2020年9月放送のテレビ番組「YELL!2020!~オリパラから未来へ~」で「ゴルフと息子との時間が心のケアになっている」と語っています。

番組内では、「(長男の)記憶に残る年齢まで現役を続けたい」と宣言。2021年で39歳になった山本篤ですが、しっかり覚えていられる年齢というと、まだしばらくは現役でプレーする必要がありそうです。

2021年7月には、次男が誕生しています。インスタで出産を報告した際には、長男に似ていると感じた旨を書き添えていました。家族が増えて、ますます気力も充実していることでしょう。

山本篤は左足切断直後も明るかった!

掛川西高校でバレーボール部に所属していた山本篤。高校2年生の春休みに、人生が一変しました。

山本篤は、バイクで事故を起こし、ガードレールに衝突した左脛骨を粉砕骨折してしまいます。朝に風邪薬を飲んでいたことで、運転中に眠気を催してしまったことが原因でした。

壊死の進行を止めるために、手術で左足を大腿から切断して失い、義足生活に。山本篤の母親が「中外製薬」のwebサイトに掲載されたインタビューで、彼のメンタルの強さが伝わるエピソードを披露しています。

左足を失った直後でも山本篤は明るく、両親に向かって「僕が有名になったときにその写真使える」と、切断した足の写真を撮るように言ったそうです。

山本篤の母親は、退院してからも明るさは消えず、前向きに義足生活と向き合っていた姿を振り返っています。

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山本篤の愛車がすごい!プロ転向で年俸は1500万円

山本篤が即金約900万円でジャガーを購入!

山本篤は、2019年の春に新車を購入しました。即金で約900万円を支払って購入した愛車はジャガーで、2017年の9月でスズキ株式会社を退社し、プロ転向してから手に入れたものです。

山本篤は朝日新聞の記者に対して「結果を出さないといけないのは、前と変わらない。パラでもプロとして実績を積めば稼げるというのを知ってほしい」と語っており、後進に希望を与える意味でも高級車を選択したそうです。

山本篤はインパクトを残すためにプロに転向して年俸は1500万円に!

2017年よりプロに転向し、新日本住設所属となった山本篤の年俸は、1500万円です。成績に応じて100万~3000万円が上乗せされる契約を結んでおり、結果が収入に直結します。2021年時点では、他にスポンサー企業5社の収入が加わるとのこと。

安定した生活を手放してプロに転身したのは「パラスポーツに何かインパクトを与えたい」という思いからだったと明かしていました。

また、2021年7月に「文春オンライン」に掲載されたインタビューでは、時間配分の面でも陸上に集中できることをメリットに挙げています。

企業雇用のアスリートの場合、半日か終日かといった条件の違いはあれど一定時間会社の仕事をする必要があり、プロ契約になると勤務の必要がないため「使える時間が増える」のだそう。次世代に向けた競技のイベントや講演会などの活動も、しやすくなったといいます。

「パラリンピアンもプロとしてご飯を食べていけると示したかった」とも語っており、自身に続くパラアスリートのために選択肢を広げていこうという面も大きいようです。

東京パラリンピックの走り幅跳びを終えた後には、メダルに手が届かなかったことに悔しさをにじませながらも「自己新が出たなら、まだ伸びるということ」と現役続行を宣言しています。

2020東京パラリンピックで山本篤の名前や考え方がさらに世間に広がっており、パラスポーツにますますポジティブな変化が生まれるかもしれませんね。

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