中西麻耶が走り幅跳びで2020パラリンピックへ!プロフィールは?写真集発売の理由とは

中西麻耶が走り幅跳びで2020パラリンピックへ!プロフィールは?枚方市が拠点


中西麻耶のプロフィール
◆生年月日:1985年6月3日
◆出身:大分県
◆身長・体重:158cm・-kg
◆血液型:非公開
◆所属:阪急交通社
◆2019年世界パラ陸上競技選手権大会 走幅跳T64 金メダル

中西麻耶が4大会連続でパラリンピック出場!

中西麻耶(なかにしまや)は、義足の陸上競技選手です。

2008年に中国の北京で開催されたパラリンピックで初の日本代表に選ばれ、以来2012年のロンドン、2016年のリオと3大会連続で代表入り。100m走、200m走、走り幅跳び、と様々な競技に出場し、東京2020パラリンピックにも走幅跳びで出場しました。

中西麻耶の事故はどんなものだった?陸上選手になったきっかけは?

中西麻耶は子供の頃から活動的で、高校時代にはソフトテニスでインターハイや国体に出場していました。

高校を卒業後、就職した中西麻耶はしばらくソフトテニスから離れていましたが、2008年9月に地元の大分で国体が開催されると知り、2006年に競技に復帰します。しかしその矢先、突然の不幸が中西麻耶を襲いました。

2006年9月、友人の父親が営む塗装会社の仕事を手伝っていた現場で、5トンの鉄骨が突然ドミノ倒しのように落下。中西麻耶の足は鉄骨の下敷きになり、病院へ救急搬送されます。事故は、一歩間違えば命を落としていたかもしれないほどのものでした。

右足を接合してうまくいかなければ切断するか、接合せず切断するかの選択を迫られた中西麻耶は、接合せずに切断することを決断。足を残せる可能性に賭けて接合すれば治療に時間がかかり、目指していた国体に間に合わなくなるとの思いから両親の猛反対をきかずに決めたと、後にスポーツ紙のインタビューで明かしています。

中西麻耶は右足のひざ下12センチから足先までを切断後、義足でソフトテニスを続けようとしました。しかし、思うようにプレイできず断念。それでも自分のできることを探したいと陸上に転向し、スポーツ義足の第一人者で、足を失くしたアスリートの指導も手掛ける臼井二美男と出会います。

臼井二美男に誘われ、身障者の陸上競技大会を見学した中西麻耶は根っからのスポーツ好きな魂に火がつき、本格的に競技を開始。2007年3月に臼井二美男と出会い、それから半年余りでジャパンパラリンピック陸上競技大会の100m、200mで日本記録を更新して注目の存在に。以降、パラ陸上短距離のトップアスリートとして世界の舞台で戦っています。

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中西麻耶は加藤大治郎の大ファン?セミヌード写真集の理由は?

中西麻耶の競技用義足には加藤大治郎の誕生日が

中西麻耶は、加藤大治郎のファンであることを公言しています。

オートバイのロードレースで世界的に知られる活躍を見せていたレーサー・加藤大治郎は、2001年に世界GP250ccでチャンピオンの座に就き、翌2002年に最高峰クラスのMotoGPクラスへ参戦。活躍が期待された中、2003年4月6日に三重県の鈴鹿サーキットで開催された日本GP決勝レース中の事故により、26歳の若さで惜しまれながら世を去りました。

中西麻耶はインスタで度々加藤大治郎の名を出し、亡き天才レーサーを偲んでいます。彼女の競技用義足の足先に描かれた「74」の文字は、加藤大治郎が自身の誕生日にちなんでゼッケンやグッズに使用していた特別な思い入れのある数字です。

加藤大治郎の命日である4月20日には、大好きだった友人に思いを馳せる中西麻耶。2021年4月20日のインスタでは、「沢山の選手や素晴らしい人たちと出会ってきたが、大ちゃんを越す人物には会えてない」と存在の大きさを語り、「大ちゃん、今年こそ一緒に世界の頂点に立ってやろうぜ。約束だぞ!」と綴っています。

また、2020年の命日にも「あと1年後、一緒に一番高い表彰台に登れますね。その日まで私は未来を諦めません」と投稿。東京パラリンピックで金メダルを獲り、「74」の競技用義足で表彰台に上がると誓っていました。

中西麻耶がセミヌードカレンダーを出版したワケとは?

中西麻耶は、2012年にセミヌードカレンダーを発売しています。パラアスリートは競技用義足に100万円以上の費用がかかる上に海外遠征費用も必要なため、その費用を捻出することが目的でした。

朝日新聞の企画「慎吾とゆくパラロード」で香取慎吾と対談した中西麻耶は、競技を続けるために約300万円の借金を抱えたこと、カレンダーを自費出版するため、さらに借金を重ねたことを告白。パラリンピックに出場する力がありながら資金不足で出場を断念せざるを得なくなることは避けたかったと振り返っています。

また、自身と同じ身障者に対し、義足であることを隠さずに堂々と胸を張って生きてほしいとの思いを込めたとも語りました。

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中西麻耶がインスタで2020パラリンピックへの思いを語る!結果は?

中西麻耶が東京パラリンピック出場前に日本新記録を更新!目標は金メダル!

中西麻耶は2021年8月3日にインスタを更新し、東京パラリンピックへの抱負を綴りました。

4回目の出場となるパラリンピックで「次は金メダルへ」と目標を語った中西麻耶は、「2020年のパラリンピックに出場するという夢を叶えます」との文字を入れた競技用義足の写真を投稿。有言実行でパラリンピアンとなり、最終目標に向けて決意を新たにしました。

2020年9月に行われた「第31回日本パラ陸上競技選手権大会」の走り幅跳びでは5m70で日本新記録、アジア記録を更新した中西麻耶。東京パラリンピックの開幕を目前に控えた2021年7月10日に開催の「第89回兵庫陸上競技選手権大会」の走り幅跳びでも見事に優勝し、世界の大舞台を前に好調ぶりをアピールしました。

中西麻耶が2020東京パラリンピックに出場!結果は?

中西麻耶が東京パラリンピックで出場した陸上女子走幅跳びは、2021年8月28日に開催されました。2019年の世界選手権で優勝していた中西麻耶は、金メダル候補の一人として注目されていました。

5m後半のジャンプを繰り出す選手が続出するハイレベルな戦いになる中、中西麻耶の最後のジャンプはファウル判定に。6mを超えるジャンプでパラリンピック初のメダルを目指していましたが残念ながら手が届かず、6位入賞に終わりました。

競技後のインタビューで「今まで戦ってきたパラリンピックで一番苦しい大会になった」と振り返った中西麻耶。「大分の競技場に帰って、もう一度、楽しんでみんなと練習をしたい」とも語っています。競技後に更新したツイッターで「まだまだ努力します。1から出直します!」と再び前を向く中西麻耶が3年後のパリ五輪の舞台にも立ち、前人未到となる5度目のパラリンピックで躍動する姿を楽しみに待ちたいですね。

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