藤村俊二が結婚した妻や子供の現在!”おひょいさん”の経歴は?

藤村俊二が結婚した妻や子供の現在!”おひょいさん”の経歴は?

藤村俊二は昭和のテレビが生んだ元祖マルチタレント

藤村俊二は、1934年、昭和9年生まれで、享年82歳。昭和9年といえば、石原裕次郎を始め、大橋巨泉、愛川欣也、坂上二郎など、戦後芸能界のさまざまな分野で活躍した人たちを輩出した年度で、藤村俊二もまた、その1人でした。

藤村俊二は東京で映画館を経営する家の御曹司で、小学校から高校まで暁星学園で過ごし、舞台演出家を目指して早稲田大学文学部の演劇科へと進みます。しかし、理論ばかりで実践的なことを教えてくれないと、さっさと中退して東宝芸能学校舞踊科へ。卒業後は、日劇ダンシングチーム12期生として1960年に渡欧しますが、本場のダンスの実力を思い知らされて帰国。世の中は、テレビ時代に突入していて、歌のバックダンスや、俳優やタレントの振付けが欠かせなくなっていました。

そこで、藤村俊二は、帰国早々振付師となります。「8時だョ! 全員集合」のオープニングダンスも藤村俊二が振付けたものなのだとか。しかし、当時のテレビは、まだスタッフの役割も明確でなく、スタジオや劇場にいる者が、エキストラになることなどしょっちゅうでした。芝居を知っている藤村俊二はよく駆り出され、また器用にこなすので、重宝されるのですが、「自分はあくまで裏方」と、途中でよく雲隠れしたそうです。

こうして、ヒョイと居なくなることから、「おヒョイ」というニックネームがつけられました。藤村俊二は以後、その軽い身のこなしと、テレビ的なリアクションで、バラエティやコント、またドラマと、マルチタレントの草分けとして活躍していきます。

藤村俊二は2度の結婚離婚もまたヒョイヒョイ

藤村俊二は、1961年、日劇ダンシングチームのダンサーと早くに結婚し、一男一女をもうけていますが、1995年に熟年離婚。翌1996年、藤村俊二が61歳の時に、26歳年下の元タレント長尾美香代と再婚しています。まさに老いらくの恋というところでしょうか。しかし、藤村俊二の死によって、彼女とも2013年に離婚していることが分かりました。藤村俊二は、結婚も離婚も、ヒョイヒョイとスマートだったようです。

藤村俊二の引退理由は病気?最近は若者の人気者だった!

藤村俊二ヒョイとかわせなかった晩年の大病と療養

藤村俊二は、そのスマートな生き方とは裏腹に、晩年に、いくつも大病を患っています。しかし、芸能マスコミがこれだけ煩い今でも、決して病気を気づかれることなく、ヒョイと闘病生活を送っていました。53歳の時には肺気胸、56歳の時には胃の3分の2を摘出する胃がん、64歳の時には、大動脈瘤の大手術を受けていた藤村俊二。しかしいつも、「海外旅行に出かける」などと上手に嘘をつき、また、何くわぬ顔をして仕事に復帰していました。

これもまた、藤村俊二ならではのダンディズムだったといえましょう。しかし、さすがに無理が祟ったのか、2015年より再び体調を崩します。日本テレビ「ぶらり途中下車の旅」のナレーションを降板し、今度は療養を明らかにしますが、ついに復帰はならず。2017年1月25日、心不全で亡くなりました。

藤村俊二の若者たちもリスペクトしたダンディな老紳士ぶり

映画「デスノート」における主人公Lの有能なパートナー「ワタル」として、また、漫画「黒執事」に登場する老執事タナカのモデルとして、若い人たちにもよく知られた存在だった藤村俊二。彼は、お洒落でダンディ、紳士的な老俳優として、若者たちからもリスペクトされていました。藤村俊二本人は、仕事嫌いを標榜しながら、「タレント」という薄っぺらい肩書きを嫌い、「アクター」を自認していたそうです。そんな藤村俊二は、まさに本物の紳士であったといえます。

藤村俊二がその名の如くヒョイ、ヒョイと生き抜いた昭和と平成の芸能界

お洒落でダンディなイメージが定着していた藤村俊二ですが、振付師をしながら、仕方なくバラエティやコントに出ていた頃の彼は、下手なコメディアンなどより、ずっとコメディセンスに溢れていました。藤村俊二が一般に知られるようになったのは、1969年、日本テレビ「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」からでしょう。

放送作家である2人の毒舌トークとコントで構成された番組は、当時において、またテレビ史においても画期的なバラエティ番組でした。藤村俊二は、萩本欽一&坂上二郎のコント55号や、小松方正、宍戸錠、常田富士男、また吉田日出子や宮本信子など、個性的な俳優に交じって引けをとらず、その飄々とした個性が注目されました。

同じ頃には、永井豪原作のコミック漫画「ハレンチ学園」が大人気となり、映画やテレビ化されます。先生が女性徒のスカートまくりをするなどという、とんでもない内容でしたが、ヒゲゴジラという先生役は、映画版の藤村俊二が、一番シュールかつひょうきんで、原作に近いと評判になったものです。

また、堺正章が主演し、亡くなった美人女優・夏目雅子が三蔵法師役で大人気だった「西遊記」で藤村俊二が演じたのは、白馬にされた竜の役。本人は当時、なかなか普通の人間の役がさせてもらえないとうそぶいていました。しかし、21世紀以降に出演した映画は、ダンディな老人役が多かったようで、実生活においても、芸能人の隠れ家的ワインバー「O’hyoi’s」を経営し、その優雅なオーナーぶりが話題に。

迎えた晩年は、演技とともに、「ぶらり途中下車の旅」のナレーションに代表されるような、どこか飄々として優しみのある声も、引っ張りだこでした。自分の分をわきまえながら、ヒョイヒョイと、昭和、平成の芸能界を生き抜いた藤村俊二は、元祖マルチタレントであったといえるでしょう。

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