2019年1月31日 更新
園田隼は遅咲きのマラソンランナー!箱根駅伝にも出場していた?
2020年に東京を舞台として開催される夏季オリンピックの男子マラソン代表候補として注目される園田隼(そのだはやと)は、成績だけでなく他の選手とは異なる練習方法などでも話題を集めている選手です。
1989年4月5日生まれ。熊本県出身の園田隼は地元の熊本国府高校を卒業後、2008年に上武大学に進学。1996年アトランタ・オリンピック、2000年シドニーオリンピックに日本男子長距離走代表として出場した花田勝彦監督指導の下、大学時代の4年間を長距離走の選手として陸上競技に打ち込みます。
毎年、年始恒例となった箱根駅伝競走にも、2011年と2012年の二度出場。園田隼は山登り区間として注目される第5区を走りましたが、2011年は区間14位、2012年も13位に終わり、残念ながら結果を残すことはできませんでした。
上武大学を卒業した園田隼は、福岡県北九州市に本拠地を置く黒崎播磨に実業団ランナーとして入社。マラソンをメイン競技として本格的に取り組むようになります。
そんな園田隼の初マラソンは、入社3年目の2014年に出場したびわ湖毎日マラソン。この時の記録は、2時間20分台の46位と奮いませんでした。しかし、2016年12月に行われた福岡国際マラソンで、園田隼は一躍世間の注目を集めることとなります。
世界陸上ロンドン大会男子マラソン選考会を兼ねたこのマラソンで、園田隼は一般参加ながらレース中盤まで優勝候補に残る快走を見せました。残念ながら終盤に失速し、最後まで優勝争いに残ることはできませんでしたが、自身のベスト記録を7分ほど縮める2時間10分台でゴールする力走により、園田隼は日本人2位・総合4位の好記録を残しています。
ちなみに、同大会において園田隼を上回る記録で日本人1位となったのは、公務員ランナーとして注目を集めた川内優希でした。
見た目が特徴的?修行僧みたい?
福岡国際マラソンをきっかけに、一挙に有名ランナーの仲間入りを果たした園田隼は、記録だけでなくその見た目にも注目が集まっています。坊主頭に加え、痩せ型で丸い大きな目をしている風貌から、修行僧のようだと言われているのだとか。
個人競技であるマラソンは自身との戦いになることも多々あるでしょうから、そういう意味では厳しく自身を鍛錬する修行僧と共通する部分もあるかもしれませんね。マラソンランナーとしては遅咲きといえる園田隼ですが、実はトレーニングが独特で、まさに修行ともいえるストイックなものであることが知られています。
園田隼はなぜ27歳でブレイクすることが出来た?実業団で始めたストイックな練習方法って?
注目を集めた2016年福岡国際マラソン出場時、園田隼は27歳でした。上武大学在籍時に箱根駅伝の出場経験はあったものの、上位に食い込む成績を収めたわけではありません。
全くといってよいほど無名の存在だった園田隼が、なぜ27歳という年齢でブレイクすることが出来たのでしょうか。その理由は、実業団ランナーとなってから始めたストイックな練習方法にあります。
マラソンランナーがよく取り入れる練習方法に、「40km走」というものがあります。その名の通り40kmを走るこのトレーニングは、通常一般道路で行います。しかし、園田隼はあえて陸上トラックで40km走を行うのです。
1周が400mの陸上トラックで40km走るには、100周も回り続けなければなりません。一般道路を走るのとは異なり、景色が全く変わらない中をひたすらグルグルと回り続けることは、体力面だけでなく精神的にもかなりハードでしょう。
このようなストイックな練習方法を取り入れている理由として、園田隼は「わざと嫌な練習をして、体力と精神力を両方鍛えるため」だと語っています。こうして鍛え上げた体力と精神力により、園田隼は遅咲きながら27歳で日本トップクラスの実力を持つようになったのです。
園田隼をさらなる有名選手へと押し上げた別府大分毎日マラソン!見る者を感動させた給水無しの激走とは?
2016年以来、トップクラスのマラソンランナーとして認められた園田隼は、2018年2月に行われた別府大分毎日マラソンで、再び注目を集めました。
このマラソンに出場する日本人ランナーの中で最高記録を保持していた園田隼は、その期待に応えるかのように30km付近でトップ集団から一気に抜け出します。そして苦しそうな表情を浮かべながらも給水を取らず、ひたすらゴールを目指す激走を見せたのです。
結果として南アフリカのデスモンド・モクゴブに僅差で敗れて2位となったものの、タイムは2時間9分34秒と自己最高記録をマーク。同大会出場の日本人選手ではトップとなる決死の走りが見るものを感動させ、園田隼の名はさらに有名になりました。
園田隼がマラソンランナーになるきっかけを作った人物とは?園田隼の恩師との絆が凄い!
園田隼は社会人でマラソンランナーに転向していますが、これは自分の意思によるものではありませんでした。そのきっかけを作ったのは、園田隼が所属する黒崎播磨の澁谷明憲監督です。
澁谷監督は黒崎播磨に入社してきた園田隼に、「実績こそないが、長距離の適性はチーム1。マラソンで五輪を目指そう」と、マラソンへの転向を勧めたそうです。この誘いに対し、園田隼は当初懐疑的に受け止めていたものの、その後監督の言葉を信じ、マラソンに打ち込むことを決意します。
その後の園田隼は自己管理を徹底するようになり、毎日澁谷監督に体重や脈拍などを記録した体調管理シートを提出しているそうです。園田隼がトップマラソンランナーとして活躍するようになったのは、監督と二人三脚で地道にトレーニングを積んできたことが花開いた結果といえるでしょう。今では「澁谷監督がいなかったら、今の自分が陸上を続けられているかわからない」と語るほど、園田隼は澁谷監督に絶大な信頼を寄せているようです。
2018年8月25日にインドネシアで行われたジャカルタ・アジア大会に、自身初の日本代表として出場した園田隼。結果は井上大仁が日本人選手では32年ぶりとなる優勝で金メダルに輝き、園田隼は4位と惜しくも表彰台を逃しました。
しかしながら、2020年8月に行われる東京オリンピックの前哨戦といわれるこの大会で、園田隼は夏のマラソン未経験ながらも37km過ぎまで先頭集団を引っ張る健闘を見せ、4月15日に行われるボストン・マラソンの招待選手に選ばれました。
また、別府大分毎日マラソンで2時間10分を切るサブテンを達成する記録をマークした園田隼人は、東京オリンピックのマラソン日本代表選考会となるグランドチャンピオンシップ出場権も獲得。五輪代表の座も手にできるところにいます。
今後出場する大会でも好記録を残し、日本開催のオリンピックへの出場を果たしてほしいものです。
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