江戸家猫八(四代目)の息子が江戸家小猫を継ぐまでの軌跡!江戸家一家とは?

江戸家猫八(四代目)の息子が江戸家小猫を継ぐまでの軌跡!江戸家一家とは?

江戸家猫八の鳴きまねは、江戸時代から続く伝統の色物芸

江戸家猫八といえば、動物の声帯模写で有名な物真似師の名跡です。昔の寄席には、落語や漫才以外にも、色物と呼ばれるさまざまな芸がありました。昭和のテレビ黄金時代には、奇術のアダチ龍光、「おめでとうございます!」で知られた曲芸師の海老一染之助・染太郎や、紙切りの林家正楽。

また、帽子を変幻自在に組み替える早野凡平、そして拳と指だけで、さまざまな動物の鳴き声をまねる物真似師、江戸家猫八。すばらしい技を持った芸人がたくさんおり、テレビの演芸番組をおおいに賑わわせていたものです。漫才しか見たことのない関西人にとっては、江戸情緒あふれるこれらの芸が、とても粋に見えたものです。

江戸家猫八は、一子相伝四代続く物真似師

江戸家猫八として一般的に知られているのは、三代目江戸家猫八でしょう。この江戸家猫八こそ、フジテレビの人気時代劇「鬼平犯科帳」で相模の彦十を演じていたその人です。そして三代目が2001年、80歳で亡くなった後、実の息子である江戸家子猫が、2009年に四代目江戸家猫八を襲名しています。

そして四代目の長男がまた2011年、二代目江戸家子猫を襲名。江戸家猫八の初代は、歌舞伎役者から物真似芸に転じた人で、二代目こそ血がつながっていませんでしたが、初代の六男が、三代目を継ぎました。そのため、江戸家一家は、祖父、父、子、やがてはその孫の、四代一子相伝の物真似師となります。

江戸家猫八(四代目)の十八番声帯模写は?江戸家猫八(三代目)は鬼平犯科帳の名脇役!

江戸家猫八の鳴きまねに、昭和のテレビっ子は驚いた!

江戸家猫八三代目や四代目の蛙の鳴きまねをテレビで見た昭和の子供たちは、誰もが、片手の拳を口の前に持っていき、むやみに息を吹きかけてみたものでした。当然、蛙の声など出るわけもなく、とてもがっかりしたものです。そして、指1本を口にくわえて奏でられる、ウグイスやさまざまな野鳥の鳴き声を聞いた子供たちは、さすがに、これは簡単にできるものではないと、驚きながら見入ってたものでした。

四代目江戸家猫八が、鳴きまねに興味を持ったのは、小学校に上がる前の頃。普通の子供たちと同じく、非常に驚き、自分もやりたいと三代目猫八にせがんだそうです。三代目は「無理に継ぐことはないんだよ。この仕事は好きでないと続かないからね。でも、お前が自分からやりたいと言うなら、俺はうれしいよ」と言われたことを、今でもはっきり覚えているそうです。時を経て、三代目、四代目が一緒の舞台に立っての蛙やウグイスの泣き比べは、昭和のテレビっ子にとって感動ものでした。

三代目江戸家猫八、俳優としての当たり役は「鬼平犯科帳」の密偵、相模の彦十

江戸家猫八(三代目)は、根っからの江戸っ子。その居住まい自体が粋な人で、役者としても貴重な存在でした。なかでも評価が抜き出て高いのは、フジテレビの時代劇「鬼平犯科帳」の老密偵、相模の彦十の役でしょう。時代劇ファンに、彦十は、江戸家猫八以外にないと言わしめたほど、江戸の町から抜け出たような江戸っ子を体現しました。江戸家猫八のような、江戸時代から伝わる色物諸芸は、能や歌舞伎にも劣らない伝統芸能として、これからも大事にしていかなければなりません。

四代目江戸家猫八は、意外!平成のゲームっ子なら誰でも知っている

江戸家猫八とは、昭和世代にとって三代目江戸家猫八を指します。しかし意外に、平成の子供たちは、四代目江戸家猫八をよく知っています。実は、四代目江戸家猫八がまだ江戸家子猫だった頃、1991年から1999年まで、テレビ東京で、「Theゲームパワー」「ゲーム王国」というテレビゲームの情報番組の司会を務めていたからです。

また「ゲーム王国」には、二代林家三平を襲名した、まだ20代の林家一平が出演していました。番組は、各ソフトメーカーの広報担当者が、新作ゲームソフトを紹介したり、人気ゲームソフトの裏技を紹介したりする、当時のゲーム少年にとっては、必須の内容。当時の江戸家子猫は、スラッとした男前の現代青年で、タレントしても活躍していましたが、極めてアナログ的な物真似師と、ゲーム番組はやはりミスマッチだったようです。

江戸家小猫のやる気のない司会ぶりは、「電気グルーヴのオールナイトニッポン」などで、よくネタにされていたのだとか。しかし、その四代目江戸家猫八もすでに、66歳。つい先日、今度は息子の二代目江戸家子猫と、「徹子の部屋」に出演。蛙の鳴き比べを披露していたのには、まさに隔世の感があります。しかし、どうして、鳴らしているんでしょうね?あの鳴き声は。

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