藤波辰爾の壮絶なプロレス人生!息子・玲於南はプロレス、娘・美有はゴルフの道へ

藤波辰爾の壮絶なプロレス人生!息子・玲於南はプロレス、娘・美有はゴルフの道へ出典:http://boku-pro.com
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藤波辰爾のヒストリー!テレビ公開された自宅は大豪邸!

藤波辰爾の壮絶なプロレス人生!

プロレスラーの藤波辰爾(ふじなみたつみ)は、1953年12月28日生まれで、本名は藤波辰巳です。藤波辰爾のヒストリーを辿るとするならば、一冊の本では足りないでしょう。

藤波辰爾はアントニオ猪木に憧れ、中卒で日本プロレスに入門しました。1972年にアントニオ猪木が理想のプロレスを目指し、新日本プロレスを旗揚げする時も藤波辰爾は迷わず参加します。
藤波辰爾は、「炎の飛龍」や「ドラゴン」といった代名詞で一躍、人気上昇します。ジュニアヘビー級のトップに君臨すると、プロレス会場に女性の観客が急増したほどです。

その後、WWWFジュニアヘビー級王者として通算52回の防衛を果たし、ジュニアに敵なしとなった藤波辰爾は、1981年にヘビー級に転向します。「猪木超え」後、「藤波時代」を築くにはヘビー級王者になる必要があったからです。しかし、藤波辰爾をライバル視して牙を剥いたのが長州力でした。

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この両雄は「名勝負数え歌」と言われるほど、この後に何度も名勝負を繰り広げた生涯のライバルです。さらに、前田日明も藤波辰爾の前に立ちはだかり、武藤敬司や橋本真也など、若手の突き上げも強くなってきました。それと同じくして腰痛が悪化し、第一線を退くことになった藤波辰爾。しかし、アントニオ猪木もトップを譲らなかったため、「藤波時代」到来には至りませんでした。

藤波辰爾は理想のプロレスを目指して、2006年に「無我ワールド・プロレスリング」を旗揚げします。2008年に団体名を現在の「ドラディション」に変更し、今も現役としてリングに立ち続けています。ミル・マスカラスや初代タイガーマスク、蝶野正洋などのレジェンドもリングに上がっています。これは、藤波辰爾の人柄によるものかもしれません。藤波辰爾のヒストリーは、まだまだ終わりを告げていません。

藤波辰爾が自宅公開!こだわりぬいた大豪邸

藤波辰爾の自宅がテレビで公開され、豪邸だと話題になりました。千葉の大網白里町にある藤波辰爾の自宅は、九十九里浜から車で約20分の場所です。リビングがとてつもなく広く、天井までは5メートルはありそうな高さ。壁には絵画が飾られており、大きなソファが置かれています。

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音響効果も抜群、また植物があちこちに置かれ、まさに憩いの空間です。窓がたくさんあり、そこから見えるのは広い庭。その先は、なんとゴルフ場まであるというから驚きです。団体のトップとなり豪邸も手に入れた藤波辰爾は、まさに一国一城の主です。

藤波辰爾と嫁の意外なキューピッドは?息子・玲於南はプロレス、娘・美有はゴルフの道へ

藤波辰爾と嫁のキューピッドはビル・ロビンソンだった!

藤波辰爾と嫁の出会いは、劇的でした。プロレスファンの弟が、ビル・ロビンソンの試合勧めたのがきっかけだそうです。元祖イケメンレスラーで、人間風車(ダブルアーム・スープレックス)を編み出したビル・ロビンソンは、ワンハンドバックブリーカーやフライングエルボーバットなど技が華麗で、反則をしないクリーンファイトが信条。花束を贈呈する女性がリングを下りやすいようにロープを広げてあげるなど、振る舞いも紳士的でした。

こうして、ビル・ロビンソンに魅了されてプロレスファンになったそうです。新日本プロレスの試合も観戦に行くようになり、喧嘩ファイトも得意なアントニオ猪木や長州力に比べ、一番のクリーンファイターだった藤波辰爾のファンになりました。

そして、藤波辰爾彼から声をかけて交際がスタートし、結ばれることになった2人。まさか藤波辰爾と嫁のキューピッドが、人間風車ビル・ロビンソンだったとは驚きです。

藤波辰爾の息子・怜於南はプロレスラーに!娘・美有がプロゴルファーを目指したワケ

藤波辰爾の息子・怜於南(れおな)は、1993年7月7日の七夕生まれ。父の藤波辰爾に憧れ、プロレスラーの道へ進もうと決意しますが、プロレスの世界はそう甘いものではありません。あのプロレスの帝王・高山善廣でさえ、「スクワット3000回なんかできるわけがない」と、途中で逃げてしまったほど厳しい世界。藤波辰爾自身も、息子のプロ入りを承諾しませんでした。

しかし、それでも諦めなかった怜於南は、海外での修行場所やトレーニングジムなどの手続きを全て自分で行い、プロデビューの準備を進めます。そんな姿から息子の本気と覚悟を受け入れ、プロレス入りを認めます。認めた以上は、全力で応援してしまうのが親心というものでしょう。

息子・怜於南は、リングネームを「LEONA」とします。体格は173センチ、87キロとプロレスラーとしては小さめで、「ドラゴン2世」というニックネームで売り込みます。デビュー当初から、船木誠勝や鈴木みのるという一流レスラーと対戦できたのは、2世の特権といえるでしょう。

そのため、実力で這い上がって来たレスラーからすると面白いわけがありません。現在、コテンパンに可愛がられているLEONAの試練は、まだしばらく続続きそうです。将来は、「藤波怜於南」のリングネームに改名すると決意を語っています。

藤波辰爾の娘の美有(みゆ)は、プロゴルファーで、ゴルフ猛特訓の日々を送っています。美有は、藤波辰爾の生き様を見てプロゴルファーになる決心をしたそうです。父の生き様がきっかけで夢を抱くとは、父親冥利に尽きるというもの。美人ゴルファーとしてもネームバリューが上がってきていますから、父・藤波辰爾のように頭角を現す日が楽しみですね。

藤波辰爾がボブ・バックランド、長州力らとドラディションのリングに上げる!

2018年4月7日、東京・豊島区のプロレスグッズ専門店で、藤波辰爾と前田日明が対談を行いました。藤波辰爾はその席で、自身主催の「ドラディション」の大会に出場してほしいと前田日明にオファー。まさかの公開オファーに、ファンは大歓声しました。しかし、前田日明は「客来るんですかね」とポツリ。ありがたい話だけれど、無理ですと断りました。

新日本プロレスでは藤波辰爾が先輩ですが、理想の格闘技プロレスを目指しUWFの選手となった前田日明とは敵同士の関係です。今でも伝説になっている試合が、1986年6月12日の大流血戦です。前田日明の大車輪キックで藤波辰爾が額を切り大流血。最後は、前田日明のニールキックと藤波辰爾のレッグラリアットの相打ち合戦となり、両者KOという壮絶な死闘を繰り広げました。これぞプロレス、という歴史に残る名勝負でした。

2018年4月21日に行われた「ドラディション」大阪大会には、長州力とボブ・バックランドも招待されていました。藤波辰爾と長州力は、1970~1980年代にタッグとシングルで、何度もボブ・バックランドと対戦した仲です。こうして、藤波辰爾と長州力が、ボブ・バックランドとタッグマッチで34年ぶりに対戦するというドリームカードが実現。夢の時間に、昭和プロレスファンは酔いしれました。

「体が動けるうちは」、と挑戦をやめない64歳の藤波辰爾は、生涯現役のプロレスロードを爆走です。

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