2015年8月27日 更新
勝新太郎 仰天伝説エピソード集!松平健、稲葉浩志とのいい話!
勝新太郎 松平健、唯一の愛弟子
勝新太郎が亡くなって、すでに18年。30歳以下の人は、勝新太郎を知らない人のほうが多いかもしれません。しかし勝新太郎は、戦後世代の役者として突出した存在であり、石原裕次郎や美空ひばりと肩を並べる昭和の大スターでした。
役者としての仰天・豪快伝説は、この人のためにあると言っていいほどです。勝新太郎は、一役者に止まらず、自らプロダクションを作って「座頭市物語」や数々のテレビドラマも制作しています。
1974年に勝プロダクションに入り、勝新太郎の付き人となった青年がいました。勝新太郎に、役者の一から十までを教わったのが、最近三度目の結婚で話題を集めている松平健です。
1978年、松平健は全くの新人ながら、テレビ朝日「暴れん坊将軍」の主役に抜擢され、一躍スターとなりました。付き人だった松平健の才能を見抜いていた勝新太郎は、「座頭市物語」の制作発表会見に集まった大勢の報道陣の前で、「松平!お前は俺だけを見ていればいいんだ!」と、松平健を一喝。
報道陣たちは一斉に、松平健とは誰ということで、その場にいた松平健に注目が集まりました。まさに勝新太郎らしい外連味に溢れた、新人松平健のお披露目でした。
勝新太郎 稲葉浩志(B‘z)との出会いと、BUZZ茶漬け由来
勝新太郎のエピソードにはどれも、常に意外性があり話題性がありました。ロックバンドB’zの稲葉浩志と松本孝弘が飲み屋で飲んでいると、勝新太郎が取り巻きを連れて登場。稲葉浩志と松本孝弘は、挨拶もそこそこに、ビールのウォッカ割りを勧められて痛飲します。
B’zと意気投合した勝新太郎は、彼らのコンサートにも出向きました。その後、稲葉浩志が店を訪れると、店が出していた鯛茶漬けを、B’zのコンサート名にちなんで、勝新太郎はBUZZ茶漬けと命名したという色紙が飾ってあったそうです。
そのBUZZ茶漬けは、今も店の名物メニューとなっています。
勝新太郎 妻・中村玉緒との破天荒な結婚生活、息子と真剣事件の真相
勝新太郎 シャイな放蕩役者とお姫様女優の初夜
勝新太郎のエピソードや豪快伝説は、ひとつひとつが、芝居のような外連味に溢れています。勝新太郎は、1931年生まれ。妻・中村玉緒と結婚したのは1961年で、勝新太郎が30歳の時でした。
ちょうど出世作「座頭市」や「悪名」シリーズが始まる頃で、俳優として絶頂期を迎える直前。中村玉緒は、関西歌舞伎の大看板中村雁治郎の娘で、当時、大映のお姫様女優として活躍、まだ22歳の若さでした。
放蕩役者とお嬢様女優の結婚に、当然中村家は大反対でしたが、中村玉緒自身が頑として譲らず、二人は結婚しました。勝新太郎もまた、役者として女道楽は盛んだったものの、生涯、妻・中村玉緒を愛し続けたようです。
プロポーズもマネージャーを通じてしかできなかった勝新太郎は意外にシャイだったようです。新婚初夜も、お嬢様の中村玉緒を扱いかね、勝新太郎は何を思ったか、どんぶり茶碗を使う博打「チンチロリン」を妻・中村玉緒に教えて、ふたりで一晩中遊んだそうです。
勝新太郎 息子と演技への情熱が引き起こした「真剣」事故
勝新太郎は、こと映像作りになると、天才肌というか狂気を帯びます。世界的名監督である黒沢明の「影武者」に主演が決まった時、勝新太郎は、自らカメラを持ち込んで自分の演技を確認しようとして、監督と対立。映画を降板してしまいます。また自分が演出するテレビ番組では、イメージが固まるまでカメラを回さず、また思いつきで台本もどんどん変えてしまうので、撮影スケジュールが無茶苦茶になり、制作費はべらぼうに嵩んでいきました。
これが、後日の勝プロダクション倒産の原因となります。そして最悪の事故が。自らプロデュースした映画「座頭市」の中で、立ち回りに真剣を使い、勝新太郎の息子の中村雄大(現・鴈龍)が、相手役の首を切って死亡させてしまったのです。
これは、助監督が間違って真剣を渡したということで、原因もうやむやになっています。しかし実際は、まだ俳優経験の浅い息子の映画デビューにインパクトを与えようと、勝新太郎自身が考えたか、勝の気持ちを察したスタッフが、確信犯で使用したというのが、真相ではないでしょうか。
勝新太郎 もう1つの伝説の記者会見
いずれにせよ、晩年の勝新太郎は、勝プロダクションの倒産や、本人の麻薬所持など、昭和の時代には許されていた役者としての外連味が、ことごとく法律に触れ、社会的制裁を受けます。しかし勝新太郎自身は、最後まで社会的アウトローとしての役者を、演じ続けた節があります。
勝新太郎には、伝説の記者会見が3つあると言われています。ひとつ目は、90年1月、大麻をパンツの中に隠し持っていたという嫌疑に対して、「もうパンツははかない」と言い放った会見。二つ目は、96年11月、喉頭がんの報告会見で、おもむろに煙草を吸おうとしたこと。
そしてもう1つが、96年4月の、父、杵屋勝東治の四十九日法要後の囲み会見です。納骨式で勝新太郎は、中村玉緒の制止も聞かず父の遺骨を手ですくって食べ、「これで父ちゃんはオレの中に入った」とうそぶいたそうです。
晩年、徹底して勝パッシングを繰り広げていたマスコミは、勝新太郎の死後、役者の中の役者、不世出の役者として、その死を悼みました。
生前、勝新太郎は、たとえどんな時も勝新太郎をささえ続けてくれた妻の中村玉緒に、こんな言葉を捧げています。「中村玉緒は勝新太郎なしでも存在し得るが、勝新太郎は中村玉緒なしでは存在し得なかった」。勝新太郎は、役者名利と言うより、男冥利に尽きた人なのかもしれません。