小松政夫のギャグに彩られた喜劇人生。伊東四朗にも知らせず世を去った原因とは?

2022年1月31日 更新

小松政夫は名ギャグで一世を風靡!芸能界入りしたきっかけは?


小松政夫のプロフィール
◆生年月日:1942年1月10日
◆出身:福岡県
◆身長:165cm
◆血液型:A型
◆所属事務所:有限会社ドン・タック

小松政夫は生粋の博多っ子

コメディアンとしてデビューし、俳優としても数々の作品で活躍してきた小松政夫(こまつまさお)は、1942年1月10日に福岡県福岡市で生まれた博多っ子。本名は松崎雅臣(まつざきまさおみ)です。「小松」という芸名は付き人時代に同じ苗字の関係者がおり、「小さいほうの松崎」ということから付けられました。

家族は7人兄妹で、小松政夫は5人目の子供。父親は地元の名士でしたが、小松政夫が13歳の時に他界しています。高校は、福岡県立福岡高等学校の定時制課程普通科に進学。苦しい生活を支えるため「ホワイトデー」のもとになった「マシュマロデー」を発案した洋菓子店、石村萬盛堂(いしむらまんせいどう)で働き、地元RKBの毎日放送劇団に所属。俳優の道を目指します。

小松政夫が芸能界入りしたきっかけは?

小松政夫は、子供時代に自宅前で行われていたバナナの叩き売り、蛇の薬売りといった露天商の口上を見聞したことから笑いのセンスが磨かれたといいます。そのうち暗記して、家の倉庫で「まさ坊演芸会」と名づけた公演まで行なっていたのだとか。

高校卒業後に地元福岡を離れ、一番上の兄が住んでいた横浜へ。俳優座などの劇団を受験しますが、月謝が高いという理由で断念し、アルバイトを経て車のセールスマンなどで生計を立てます。

そんな時、クレイジーキャッツのメインとして活躍していた植木等(うえきひとし)の付き人兼運転手の募集を見つけた小松政夫は、1964年1月から植木等の付き人を務めることに。出会った人々との縁もあって、付き人時代に音楽バラエティ番組「シャボン玉ホリデー」への出演で芸能界入りを叶えます。

植木等の付き人を続けながら、車のセールスマン時代の上司や、映画評論家の淀川長春(よどがわながはる)のモノマネで人気を博した小松政夫は、4年後に晴れてタレントとして一本立ち。事務所との契約やマネージャーの手配などは植木等が事前に全て行った上で、ある日突然「お前、明日からもう俺のところには来なくていいからな」と告げられ、何も聞かされていなかった小松政夫は「目にワイパーが欲しいぐらいだった」と、その後の運転で前が見えないほど嬉し泣きしたといいます。

以来、小松政夫は「みごろ!食べごろ!笑いごろ!」や「笑って!笑って!!60分」で活躍し、「小松の親分」などの名ギャグで一世を風靡。その後は俳優業にシフトし、時代劇からサスペンス、コメディまで、様々なドラマや映画、舞台で幅の広い演技を見せました。

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小松政夫のエッセー集は時代を彩った名スターのエピソードが満載

小松政夫が初のエッセー集を出版!

小松政夫はエッセー集「みーんな ほんなごと!」を2020年3月に発売しています。同書は、福岡の文化情報誌「月刊はかた」で12年間続く連載「ながーい目でみてくれんね」から厳選された66話を収録したもの。元々は博多の話をメインに考えていたという小松政夫ですが読者の反響に励まされ、笑いあり涙ありの濃い内容が披露されてきました。

タイトルの「ほんなごと」は博多弁で「本当のこと」という意味で、2019年に発売した自身の一代記「ひょうげもん」以来、1年ぶりの著書となります。

小松政夫のエッセー集の見どころは?

小松政夫のエッセー集「みーんな ほんなごと!」の見どころは、12年間に渡って書き連ねた芸能界の伝説。特に「オヤジさん」と慕った植木等とのエピソードには、昭和の人情が詰まっています。

他にも、高倉健(たかくらけん)や勝慎太郎(かつしんたろう)、松方弘樹(まつかたひろき)といった昭和の名スターたちの意外な素顔、タモリや息の合ったコンビ芸を繰り出してきた伊東四朗(いとうしろう)等、同年代を生きた盟友たちとの思い出などを掲載。芸能生活57年を迎えた小松政夫が綴った初のエッセー集には、それまで語られなかったエピソードも満載です。

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小松政夫が運転免許の自主返納から4ヶ月後に死去…原因は?

小松政夫が運転免許の自主返納を決意した理由とは?

芸能界入りする前に車のセールスマンとして働き、植木等の付き人として運転手もしていた小松政夫は、かなりの車好きとして有名でした。19歳の時にトヨペットのコロナを購入したのをはじめ、同じくトヨタのスプリンターやチェイサー、セルシオなど、人生において20台を超える愛車を乗り継いでいます。

2015年10月10日放送の「おぎやはぎの愛車遍歴」で、「なくてはならないもの」と車への愛着を語っていた小松政夫。しかし2020年8月に運転免許を自主返納し、60年を超えるカーライフに別れを告げました。

小松政夫は2020年8月に、78歳で運転免許を自主返納しています。免許を手放そうと決意した理由は、人生初の物損事故。同年6月に自宅近くの見通しの悪い交差点で一時停止後、ゆっくり車を進めたものの乗用車と接触してしまいました。

17歳で免許を取得してから60年以上、無事故無違反だった小松政夫が起こした事故はニュースでも報じられ、ファンから心配の声が寄せられました。そこで小松政夫は翌年の更新でと考えていた返納を早めることを決意。「人生にひと区切りをつけた感じ」とサバサバとした様子で返納を報告しました。

小松政夫の死去に伊東四朗が絶句…死因は?

この免許返納から3ヶ月後に、小松政夫は都内の病院へ入院。同年12月7日、午前6時51分に78年の生涯に幕を下ろしました。死因は肝細胞がん。1年前に受けた定期健診でがんを宣告され、抗がん剤治療で入退院を繰り返していたことは名コンビと言われた伊東四朗も知らされておらず、突然の別れに絶句したといいます。

がんと闘いながらその辛さを表に出さず、最期まで喜劇人として人生を全うした小松政夫。大ヒットした「しらけ鳥音頭」や、「どーかひとつ」「表彰状、あんたはエライ!」など、小松の親分が世に送り出した沢山のギャグは、これからも当時を知るファンや盟友たちによって語り継がれていくに違いありません。

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