仲代達矢 真木よう子が「無名塾」を辞めたワケはサボリ癖のせい?

仲代達矢 真木よう子が「無名塾」を辞めた理由とは?犬猿の仲?!

仲代達矢 注目女優、真木よう子が「無名塾」を辞めたわけ

日本を代表する俳優の一人、仲代達矢は1932年生まれで、今年で82歳になります。仲代達矢が他の俳優と一線を画したのは、1975年43歳の時に、妻の恭子とともに、無名塾という独自の俳優養成所を設立し、後輩の育成に努めたことからです。

俳優座出身で日本を代表する俳優が主宰する無名塾は大きな話題となり、入塾希望者が殺到します。しかし、無名塾は、入塾の難しさでも有名で、次第に演劇界の東大といわれるように。確かに設立から現在まで、無名塾は、役所広司や若村麻由美など、実力派俳優を輩出しています。

しかしほとんどの卒業生は、俳優というよりは演劇人として「無名」に甘んじている人のほうが多いようです。今注目の女優、真木よう子もまた無名塾の出身ですが、練習前のランニングを、ズルした、しないという、信じられないようなささいなもめ事が発端で塾を辞め、今では仲代達矢と犬猿の仲という噂もあります。

いずれにせよ真木よう子が無名塾に通っていた頃は、仲代達也も70歳近く。普通なら孫と祖父のような関係で、世代的なずれも生じていたのかもしれません。

仲代達矢 戦後の映画・ドラマを支えた名優

ここ数年、戦争を実際に体験した名優たちが次々と亡くなっています。そんな中、一昨年亡くなった三國連太郎とともに、戦後のデビューから現在まで、今も現役で活躍を続ける仲代達矢。中学生で終戦を迎えた仲代達矢は、食べるのに精いっぱいの暮らしをしながら、やっと定時制高校を卒業しても定職につくことができず、鬱屈した日々を過ごしていました。

そんな青年、仲代達矢は、あるとき俳優座の芝居を見て感銘を受け、1952年に俳優座の養成所に入ります。そして仲代達矢のように、演劇文化にめざめた数多くの青年たちが、戦後の映画やテレビドラマを支えることになります。仲代達也が、俳優として一躍有名になったのは、日本映画界が誇る黒沢明監督の作品「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」や、小林正樹監督の大作「人間の條件」があります。

当時の映画俳優は映画会社に所属するのが一般的であったのに対して、仲代達矢は、フリーランスの立場だったので、映画会社の縛りがなく、各社の巨匠たちの作品に数多く出演できたことも幸運でした。

仲代達矢 身長、体重、性格は?オススメ代表作映画あらすじ感想

仲代達矢は、黒沢映画最強の敵役

仲代達也は、身長178cm、体重75kg。長身痩躯で、削げた顔にギラギラした大きな目が特徴です。そのエキセントリックな演技とは逆に、性格は比較的温厚と言われる仲代達矢ですが、こと演劇や演技に関しては、内に秘めた頑固さを持っていることにまちがいありません。

初期の代表作は、なんといっても黒沢明監督の「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」です。日本人離れした体格と豪快なキャラクターを持った主役の三船敏郎の敵役として、決して貫禄負けせず、また三船同様、日本人離れした不気味さや非情を漂わせた仲代達也の存在感が認められたということでしょう。

1980年、黒沢明は映画「影武者」で、勝新太郎を主役に起用しますが、演出をめぐって衝突。勝新太郎は降板してしまいます。そのため、黒沢明監督は、急きょ仲代達也に代役を依頼。仲代達也はこの役を見事に演じ切り、カンヌ映画祭でもグランプリを獲得します。

しかし映画評論家やマスコミの間では、勝新太郎が演じたほうがよかったのでは、という意見が数多くありました。その時仲代達矢は、「勝さんが演じた『影武者』を見た訳じゃないだろう?」と、切り返したそうです。

仲代達矢 日本の戦争と戦後を問い続けた俳優

黒沢作品とは別に、仲代達也は、戦争とは、また戦後とは、といったテーマに取り組んだ俳優でもありました。小林正樹監督の上映時間10時間にもおよぶ大作「人間の條件」は、戦時下の満州を舞台に、一兵卒の眼から見た、戦争に翻弄される人々を描いた作品です。日本の代表的俳優となった仲代達也は、その後、作家山崎豊子原作の作品に多く出演します。

「華麗なる一族」「金環食」「不毛地帯」。これら作品は、戦後、経済一辺倒で突き進んだ日本の政治や経済の矛盾を鋭く批判した作品でした。そしてNHKドラマ「大地の子」では、戦後長い間封印されていた中国残留孤児の問題を取り上げています。仲代達矢は、戦後から現在に至るまで、自らの演技を通して、日本人とはいったい何なのかを問い続けてきた俳優と言えるでしょう。

仲代達矢は、椎名桔平や滝籐賢一が「胃がキリキリ」する存在?

仲代達也は、今の俳優たちにとっては、もはやレジェンド的存在といえます。10月スタートの医療サスペンスドラマNHK「破裂」の試写会に出席した椎名桔平は、共演した仲代達也について「大先輩と初めて共演するプレッシャーもあったんでしょうか。幼い頃、自分と母親を捨てた父親として恨みを募らせてきた関係性の中で、思い切ってぶつかっていこうという気持ちもあって、胃がキリキリするような状態が続いていました」と明かしています。

また同ドラマに滝籐賢一も主演していますが、彼は仲代達矢が主宰する無名塾に10年間在籍していて、退塾後やっと芽が出たこともあり、仲代達矢に対して何か物申すことなど、とてもできない間柄。仲代達矢は、今でも無名塾で、「一生はそんなに長くねえぞ」「平和ボケで生きているのか」と若い塾生たちを挑発し続けているといいますから、身も縮む思いだったかもしれません。

82歳になってもなお、精力的に演じ続ける一方で、NHKのドキュメンタリー「作家山崎豊子~戦争と人間を見つめて~」に、 ナビゲーター兼ナレーターとして出演していた仲代達矢。山崎豊子が作品を書き続けた書斎で、虚空を見つめる仲代達矢の姿には、新たな戦争に対する強い危惧とともに、老いた戦争体験者の寂寥感を感じずにはいられませんでした。

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