2022年5月27日 更新
渡辺裕之の死因「縊死」とは?事故の可能性に言及する声も
◆死没:2022年5月3日
◆出身:茨城県
◆身長:176cm
◆血液型:B型
◆所属事務所:ユニコン株式会社
渡辺裕之の死因にネット上で様々な声
「ファイトー!」
「イッパーツ!」
と、勝野洋と声をかけあう「リポビタンD」のワイルドなCMや、「愛の嵐」から始まる昼ドラ「嵐シリーズ」での男気あふれる演技で人気俳優となった渡辺裕之。1993年11月に結婚した原日出子と子供、孫たちに囲まれた家族写真を度々インスタに投稿し、フォロワーから羨むコメントが寄せられていました。
2022年のゴールデンウィークも終盤に差し掛かった5月5日、渡辺裕之死去とのニュースが。その死因が「縊死(いし)」と報じられ、日本中に衝撃が走っています。
愛妻家で幸せ家族の象徴のようだった渡辺裕之に一体何があったのでしょうか。理由など詳細は明かされておらず、様々な憶測がネット上に飛び交っています。
渡辺裕之の死因とされる「縊死」とは?
渡辺裕之の死因について、業務提携していた所属事務所・ワイケーエージェントのホームページでは以下のように発表されています。
弊社所属俳優、渡辺裕之(享年66歳)が自宅で縊死致しました。
5月3日(火)昼頃に、ご家族により発見されました。
あまりに突然の出来事に、ご家族もスタッフも驚きと悲しみに呆然としております。
「縊死」の「縊」には「くくる」「首を絞める」といった意味があり、一般的には一方の端を固定したひも状の物を首に巻き付け、自身や物の重さで首を圧迫する手段で自死した場合の死因に使われる医学用語です。
渡辺裕之は自殺ではない?その根拠とは
渡辺裕之の死亡は自殺ではない?
渡辺裕之は、芸能界でも指折りの仲良し家族として有名でした。原日出子は再婚で渡辺裕之と結婚した時には娘が一人いましたが、養子縁組をして後に生まれた2人の子供と分け隔てなく愛情を注いでいたことはインスタの他、「徹子の部屋」などでも語られていました。
また、コロナ禍で多くの映画やドラマ、舞台が延期や中止に追い込まれるなか、渡辺裕之は2022年もドラマ2本、映画4本と仕事が激減した様子もありません。生活ぶりにも変わった様子はなく、知人とゴールデンウィークが終わったら会おうと話していたとの報道も聞こえてきます。
そして何よりも、家族を人一倍大切にしていた渡辺裕之が自ら死を選ぶのかという疑問も。残された家族の悲しみを考えれば、悩みがあったとしても思いとどまるのではないか?との見方も少なくありません。
渡辺裕之の死亡は事故の可能性も?
渡辺裕之の死亡には、事故だったのでは?という声もあります。先述した通り、「縊死」は自死で亡くなった人の死因に使われますが、さらに細かく言えば、縊死はふたつに分けられるのが事故説の出ている理由でしょう。
ひも状の物を首に巻き、自身の体重をかけて死に至った場合は「定型的縊首」。これに対し、体重が首にかかっていない状態で死亡した場合は「非定型的縊首」といいます。渡辺裕之が非定型的縊首だったとすると、事故の可能性もないとは言えません。
渡辺裕之の死亡に事故が疑われる理由とは
渡辺裕之が発見された場所にナゾの答えが?
渡辺裕之が変わり果てた姿で発見されたのは、筋トレに励む写真や動画を度々インスタに投稿していた自宅内のトレーニングルームだったといいます。乗馬、スキー、ゴルフなど身体を動かすことが好きだった渡辺裕之は、自宅の地下に作ったトレーニングルームにバーベルを上げるトレーニングベンチなど、様々な筋トレ器具を置いていました。
バーベルを上げるベンチプレスでは、万一バーベルを上げきれなかった時に首の上に落ちるのを防ぐセーフティバーを設定しなければ事故の原因になります。以前から筋トレを日課にしていた渡辺裕之がその危険性を知らなかったとは考えにくいですが、何らかの理由でセーフティバーが機能せず、バーベルで首を圧迫されてしまったのでは?というのが、事故説が出ている理由です。
渡辺裕之の妻・原日出子のコメントは?
渡辺裕之をトレーニングルームで発見したのは、妻の原日出子。昼食ができたことを知らせにいき、倒れている夫に気付いたといいます。おしどり夫婦ぶりが有名だった原日出子は2021年に結婚28年目を迎えた際、インスタに「お互いにありがとう」との言葉を添え、挙式の写真を載せていました。これが2人で迎える最後の結婚記念日になるとは、思ってもいなかったでしょう。
最愛の夫との突然の別れに茫然自失の状態で、メディア対応が難しい状況と所属事務所が発表した原日出子には、心配する声が多数寄せられています。時が経ち気持ちが少し落ち着けば、渡辺裕之が突然世を去ったのは自死、事故のどちらだったのか明らかになるかもしれません。
親しみやすい人柄で愛された渡辺裕之が遺した作品に思いを馳せながら、安らかな旅立ちであるよう願うばかりです。