吉田圭太の経歴やプロフィールを紹介!
◆出身:広島県
◆身長・体重:172cm・52kg
◆在籍:青山学院大学
吉田圭太のプロフィール
吉田圭太(よしだけいた)は、青山学院大学陸上部に所属する中長距離走の選手で、同部のエースといわれています。青山学院大学の地球社会共生部地球社会共生学科に在学する吉田圭太の自己ベストは、5000メートルが2019年に記録した13分43秒54、10000メートルは、2018年に記録した28分27秒40、ハーフマラソンの自己ベストは1時間01分46秒で、こちらも2019年の記録です。
吉田圭太の経歴
東広島市立高屋中学2年の2013年に「第18回全国都道府県対抗男子駅伝競走大会」に出場した吉田圭太は6区の3kmを走り、8分59秒で区間5位に入りました。また、3年生の時には「全国中学陸上」の3000メートルで、5位の成績を残しています。
広島県立世羅高校に進学した吉田圭太は、1年の2014年に「第64回全国高等学校駅伝競走大会」に出場。7区の5kmを14分45秒で走って区間2位となり、世羅高校チームは総合で1位に輝きました。
また、2年生になった翌2015年には「第66回全国高等学校男子駅伝競走大会」で4区の8.0875kmを担当。23分32秒で区間8位となり、世羅高校チームは総合1位で大会連覇を達成しています。
吉田圭太の父親も陸上選手だった!?青山学院大学陸上競技部監督の原晋と襷つなぎをしていた!?
吉田圭太の父親も陸上選手だった!?
吉田圭太は父親も同じ中長距離走の陸上選手で、広島県立世羅高校の卒業生です。1992年に開催された「第36回全日本実業団対抗駅伝競走大会」の出場選手の中に、 NTT中国チームの一員としてその名前を見ることができます。吉田圭太の健脚ぶりは、父親ゆずりだったのですね。
彼は中学3年になるまで知らなかったそうですが、世羅高校の陸上部で活躍した父親の2年先輩には、現在青山学院大学陸上部の監督を務める原晋がいたのだそう。同じ陸上部でタスキをつないだ後輩の息子を指導することになるとは、吉田圭太の父親だけでなく、原晋にとっても感慨深いものがあるのではないでしょうか。
吉田圭太の父親は原晋監督とタスキつなぎをしていた?
吉田圭太の父親は、世羅高校の1年生だった1984年に「第35回全国高等学校駅伝競走大会」に出場し、3区を担当。区間5位の25分18秒で4区の走者にタスキをつなぎます。この4区の走者が当時3年生だった原晋で、区間2位の24分25秒を記録し、世羅高校は総合2位の成績を収めています。
吉田圭太は青山学院大学のエース!その実力とは?
2017年4月に青山学院大学へ入学し、陸上部員となった吉田圭太。しかし、1年生の時には目立った活躍ができず、大学三大駅伝といわれる出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝にも出場できませんでした。
そんな吉田圭太は、2年生になると頭角を現し始めます。2018年9月に開催された「日本学生対校選手権」の5000メートルで、日本人トップとなる3位に入賞したのをはじめ、1年生の時には出場が叶わなかった三大駅伝にも、2年生ですべての大会にエントリーされています。
同年10月の「第30回出雲全日本大学選抜駅伝競走」には4区走者として出場。2位の東洋大学との差を45秒にまで広げて区間賞を獲る快走で、青山学院の2年ぶり4度目の優勝に貢献しました。翌11月の「第50回全日本大学駅伝対校選手権大会」でも、6区で首位の東海大学との差を11秒に縮めて青山学院を逆転優勝に導きましたが、この6区での走りも区間賞を獲得する好タイムでした。さらに、2019年1月の「第95回東京箱根間往復大学駅伝競走」では復路の9区を担当。ここでも区間賞を獲得し、三大駅伝のすべてにおいて同じ年度に区間賞を獲る快挙を達成しています。
2020年1月2・3日に行われた「第96回東京箱根間往復大学駅伝競走」に3年生で出場した吉田圭太。区間賞を目指して1区を走りましたが、7位という結果に終わっています。とはいえ、1区で1位となった創価大学・米満怜のタイムが1時間01分13秒だったのに対し、吉田圭太のタイムは1時間01分31秒。18秒の間に7名の選手が入る僅差での接戦で、彼が不調だったとは言い難い結果でした。
2021年1月に行われる97回目の箱根駅伝に前年覇者として出場する青学のエースとして、吉田圭太は最後の箱根で有終の美を飾れるのか、早くも来年が楽しみですね。
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