ミヤ蝶美・蝶子が師匠ミヤコ蝶々に破門された理由、再結成の運命的な出会いとは?
ミヤ蝶美・蝶子は現在も現役の漫才コンビ!コンビ名の由来は?
ミヤ蝶美・蝶子は、過去に一度コンビ解散を経験しているものの、現在は再びコンビを組んで活動している漫才師です。ミヤ蝶美・蝶子の出会いは、ミヤコ蝶々主宰の「蝶々新芸スクール」でした。
コンビ誕生のきっかけは、同時期に2期生として入学した2人が、芝居の稽古の1つとしてコンビを組んで漫才をすることになったことです。名前の由来は、2人はまだまだ未熟ということから、師匠のミヤコ蝶々から「ミヤ」だけとって、ミヤ蝶美・蝶子になったと言います。
1980年に新花月で初舞台を踏み、翌1981年には「お笑いスター誕生!!」にてテレビに初出演したミヤ蝶美・蝶子は、9週勝ち抜いて金賞を獲得するなど注目を集めました。
ミヤ蝶美・蝶子が師匠のミヤコ蝶々に破門された理由は?再結成秘話とは
ミヤ蝶美・蝶子は、師匠のミヤコ蝶々から破門され、1983年に一度コンビを解散しています。破門の理由は、ミヤコ蝶々の「芸道と家庭は両立しない」という信念に反したからでした。結婚だけならばまだしも、子供ができたミヤ蝶美が芸人を続けることを良しとしなかったためだと言われています。
ミヤ蝶美・蝶子は、コンビ解散後は会っていませんでしたが、1998年に思いもよらない場所で再会を果たしました。それはなんと、2級土木施工管理士の講習会のトイレ。鏡に向かって化粧中のミヤ蝶子の姿を鏡越しに発見したミヤ蝶美は、思わず声をかけました。
なぜそのような場所にいたかというと、実家の土建業を手伝っていたミヤ蝶美は、自身も免許を取りたくなって講習会へ。当時喫茶店で働いていたミヤ蝶子は、周囲の勧めにより免許を取ろうと思ったからでした。17年ぶりとなる再会が、そのように奇跡のような場所だったとは驚きですが、やはりミヤ蝶美・蝶子の2人は運命で結ばれているのかも知れません。
ミヤ蝶美・蝶子のギャグ「てーい」にモデルがいた!ミヤ蝶子が鬼嫁の演技で大ブレイクするも苦労した理由とは?
ミヤ蝶美・蝶子のギャグ「てーい」にモデルがいた!破門された後の生活は?
ミヤ蝶美・蝶子のお決まりのギャグと言えば「てーい」です。インタビューによると、「近所のおっさんが子供をしかるときに実際に言っていたのを参考にしてできた」と言います。本名は高嶺敦子と言い、1958年4月20日大阪府出身で、宣真高等学校を卒業しているミヤ蝶美。大阪で生まれ育った彼女にとって、ボケツッコミのやり取りは特別なものではなく、日常会話のように行われる身近なものだったのでしょう。
ミヤ蝶美は、中華料理店経営の夫との結婚と出産によってミヤコ蝶々から破門された後にも子供に恵まれ、結局3人の子供をもうけました。しかし、最終的には夫が失踪してバツイチに……。その後は実家の土建業を手伝う日々を送っていました。
ミヤ蝶子が鬼嫁の演技で大ブレイク!イメージが強烈すぎで仕事激減?!
ミヤ蝶子の本名は鏡味博美と言い、ミヤ蝶美と同じく大阪府出身です。1959年11月16日生まれで、四天王寺高等学校と四天王寺女子大学を卒業しています。1度目のコンビ解散後は、オーストラリア留学後に蝶々劇団員として舞台に立ち、テレビでは「2時のワイドショー・夫婦110番」コーナーにも出演していたミヤ蝶子。「夫婦110番」は、「2時のワイドショー」の木曜日の人気コーナーで、嫁・姑の家庭内対立を扱うものでした。
人気の秘密は、「惨!姑を熱湯風呂に入れさせる鬼嫁」「悪魔払いと姑を棒で叩く鬼嫁」など、ショッキングなタイトルと共に登場するミヤ蝶子扮する鬼嫁が強烈すぎること。もはや名物コーナーと化していましたが、ミヤ蝶子の鬼嫁役があまりにもハマりすぎて、街中で見知らぬ人から生卵を投げつけられたこともあったと言います。鬼嫁のイメージが強烈すぎたからか他の仕事があまり来なくなってしまったこともあり、姉の経営する喫茶店で働くようになりました。
ミヤ蝶美・蝶子が「女芸人No.1決定戦 THE W」準決勝で惜しくも敗退!
「この世で一番オモシロイ女性」を決めると謳われ、初めて開催されることで注目の「女芸人No.1決定戦 THE W」には、ベテラン芸人のミヤ蝶美・蝶子も参戦していました。水面下で決勝進出を目指して熱い戦いが繰り広げられていましたが、ついにファイナリストが決定したようです。
総エントリー数は636組。これまでに予選と準決勝までが行われ、ファイナリストには、アジアンやニッチェ、ゆりやんレトリィバァなど10組が決定しています。ミヤ蝶美・蝶子は準決勝までは進めましたが、惜しくもファイナリストには選ばれませんでした。「THE W」は、史上初となる女芸人限定の大会で、プロ・アマ問わず、女性であれば参加OK。漫才からパフォーマンスまで形式問わずで何でもありという内容です。
ネタをしないタレントまがいの女芸人も多く「出場者が少ないのでは?」と危惧されていましたが、ミヤ蝶美・蝶子の参戦を知って応募を決めた友近も2回戦で敗退したのですから、ハイレベルなことは間違いありません。かつて名を馳せ2000年に再結成したものの、メディアの露出は控えめなこともあり、再結成したことすら知らない人もいると言われているミヤ蝶美・蝶子。
決勝はテレビ放送が予定されているだけに再結成を知らしめることができたに違いなく、準決勝敗退は非常に残念ではありますが、また来年もあるかも知れませんし、この大会が全てというわけでもありません。混沌としている女芸人界の中で、なにわ漫才の王道スタイルを貫くベテランのミヤ蝶美・蝶子が、またいつか脚光を浴びる日がくることを願っている人は大勢いるのではないでしょうか。