2020年8月28日 更新
マンモス佐々木はプロレスラーになる前は相撲をしていた?曙の付き人だった?
◆出身:大阪府
◆身長:188cm
◆体重:125kg
◆所属団体:プロレスリングFREEDOMS
マンモス佐々木は元力士のプロレスラー
マンモス佐々木(まんもすささき)は、佐々木嘉則(ささきよしのり)がプロレスラーとして活動する時のリングネームです。
今ではプロレスラーとして知られるマンモス佐々木がプロレス界にデビューしたのは、1997年12月8日に愛知県岡崎市体育館で行われた興行。それ以前は、浪速嘉則(なみはやよしのり)という四股名の力士でした。
マンモス佐々木は曙と同じ部屋だった?
マンモス佐々木は、元関脇の高見山が親方となって立ち上げた東関部屋に所属し、1993年1月場所で初土俵を踏みます。当時の東関部屋には、若貴兄弟と相撲人気を支えた曙がおり、マンモス佐々木は曙の付き人をしながら、力士としての経験を積んでいきました。
マンモス佐々木の力士時代の最高位は、三段目98枚目。思うような成績を挙げられなかったことなどから、相撲の道は諦めて廃業。その後は大仁田厚が設立したプロレス団体・FMWに入団し、プロレスラーの道に進みました。
マンモス佐々木の過去タイトルは?勝利数まで紹介!
マンモス佐々木がプロレス界でタイトルを量産!
活躍の舞台をプロレスに移したマンモス佐々木は身長180cmオーバー、体重100kg超えの恵まれた体格を活かして大活躍を始め、BJW認定タッグ王座のタイトルを獲得。同タイトルを4度防衛し、KING of FREEDOM WORLD TAGの王座にも就きました。
加えて、WEWではヘビー級王座、ハードコア王座、ハードコアタッグ王座、タッグ王座と、多くのタイトルを手にしています。
マンモス佐々木と曙の対戦が実現!勝利したのは?
多くのタイトルを獲得したマンモス佐々木。中でも特に大きな勝利となったのは、シングルプレイヤー転向後の初タイトルとなったWEWヘビー級のタイトルです。
2014年10月16日には、かつて付き人を務めていた曙とのタッグ対戦が実現。続く12月25日にはシングルでも対戦していますが、いずれも敗北しています。
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マンモス佐々木らが動画付きトレーディングカードに!総勢139名が参加!?
マンモス佐々木がカードになった!レアなメッセージはファン垂涎
マンモス佐々木は2002年移籍したWMFで看板選手となり、日本でも屈指のプロレスラーとなりました。天龍源一郎との対戦やWEWのタイトルをかけた戦いなどプロレスファンの印象に残る試合も多く、格闘技界で人気を博したことから、トレーディングカードも発売されました。
通販サイト・mevie(ミービー)が販売するマンモス佐々木のトレーディングカードは動画付きで、レアなメッセージが収められているのだそう。他にも、船木誠、竹田誠志、Hi69、HAYATAといった男性プロレスラーに加え、真琴、勝愛実など女性プロレスラーも含めた総勢139名のプロレスラーが参加。クリスマス仕様の特別カードなども用意されました。
マンモス佐々木が大怪我から不死鳥のごとく復帰!
マンモス佐々木は2009年2月に交通事故で頸椎挫傷の大怪我を負い、BJWタッグ王座を返上するなど、第一線から離れた時期もありました。しかし、2010年3月10日に復帰を宣言すると、すぐにトップ・プロレスラーに返り咲きました。近年、盛り上がりを見せる日本のプロレス界で、マンモス佐々木も中心選手として人気を支えていくのではないでしょうか。
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