純烈が売れた理由!紅白出場に導いたリーダーの戦略がスゴい

純烈が売れた理由!紅白出場に導いたリーダーの戦略がスゴい

2022年11月17日 更新

純烈の人気が出たのはリーダー・酒井一圭のプロデュース力の賜物?


純烈のプロフィール
◆結成:2007年
◆メジャーデビュー:2010年6月23日
◆メンバー:酒井一圭、白川裕二郎、小田井涼平、後上翔太
◆所属事務所:G-STAR.PRO
◆レーベル:日本クラウン

純烈とは?ムード歌謡を歌う男性コーラスグループとして結成!

純烈(じゅんれつ)は、男性4人組の歌謡コーラスグループです。自身もメンバーでありながら、プロデュースや作詞も行うリーダー・酒井一圭が中心となって結成されました。

結成のきっかけは、酒井一圭が事故で入院した際に見た夢でした。その夢には邦楽史に残る男性コーラスグループである内山田洋とクール・ファイブが出てきたといい、酒井一圭は天からの啓示と考え、コーラスグループを結成しました。

リードボーカルを務める白川裕二郎は2020年3月公開の「婦人公論.jp」のインタビューで、酒井一圭にファミレスに呼び出され「ムード歌謡をやらないか」と誘われたと語っています。

最初は乗り気ではなかったものの、当時は役者として伸び悩んでいた時期。母子家庭育ちで親への感謝の思いが大きかった白川裕二郎は、酒井一圭に言われた「親孝行しようぜ」という言葉が胸に響いたのだとか。

また、酒井一圭は白川裕二郎に対して紅白を目指すことも告げており、一連の口説き文句は純烈のキャッチコピー「夢は紅白、親孝行」へとつながりました。

純烈はリーダーのプロデュース力と下積み時代の努力で開花!

純烈がブレイクした要因は、リーダーの酒井一圭によるプロデュース力だといえます。酒井一圭は一時期、ロフトのイベントプロデューサーとして勤務していました。当時、どんなジャンルにも需要があり、良さを伝えれば人は集まることを確信したといいます。

大人の色気漂うイケメン俳優中心の集団によるムード歌謡というコンセプトは斬新で、他のグループと差別化できたのは酒井一圭の手腕でしょう。音楽活動未経験のメンバーの将来性も見抜き、言葉巧みに説得した交渉術も真似できるものではありません。

また、酒井一圭はブレイク前の地方巡業に関しても、エンターテインメントの底流を知る機会と捉えていたポジティブシンキングの持ち主です。

純烈は、3年間の下積み期間を経て2010年6月に「涙の銀座線」にてメジャーデビューしました。しかしヒット曲に恵まれず、所属していたレコード会社の契約は2012年に打ち切られてしまいます。自ら歌う場所を模索しなければならなくなった時に選んだのが、老舗のキャバレーやスーパー銭湯でした。

特にスーパー銭湯は、40から70代のマダムというファン層を熱くさせるのにぴったりな空間だったようです。

距離の近さや、各地に足を運んで努力を重ねる様子が観客の心を掴み、純烈は「スーパー銭湯アイドル」というキャッチコピーで徐々に有名に。

リーダーがグループの魅力を引き出す戦略に長けた酒井一圭だったからこそ、純烈をメジャーへと導けたのではないでしょうか。

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純烈が紅白出場の夢を実現!次なる目標は?

純烈は紅白歌合戦に連続出場中!紅白出場は今後も「永遠の目標」

純烈はその後、2016年5月に発売した7枚目のシングル「幸福あそび・愛をありがとう」で、オリコン演歌・歌謡曲ウィークリーチャート1位を初めて獲得。契約打ち切りという大きな困難を乗り越えた純烈の、ひたむきな努力が実を結んだ瞬間でした。

そんな純烈の掲げてきた目標「親孝行、紅白歌合戦出場、全国47都道府県で唄うこと」のうちの1つが、遂に実現。同年の大晦日に行われた「第69回紅白歌合戦」への出場を果たし、以降も連続出場を続けています。

2021年12月に「マイナビニュース」で公開されたインタビューで、リーダーの酒井一圭は紅白出場について「最大の永遠の目標!」と語っており、「今年の紅白が今年の目標で、来年の紅白が来年の目標」とさらなる連続出場への意欲をみせました。

また、紅白歌合戦出場という大きな目標を達成した純烈は、新たに「2024年日本武道館公演」を掲げています。紅白歌合戦出場を叶えた純烈であれば、きっと日本武道館公演も成し遂げることができるのではないでしょうか。

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純烈とダチョウ倶楽部でユニットを結成!きっかけは?

純烈はダチョウ倶楽部と6人組ユニット・純烈♨ダチョウ(じゅんれつおふろだちょう)を結成。2022年8月10日に、ユニットで歌唱した純烈の代表曲「プロポーズ」を配信して話題になりました。同年9月14日には猿岩石の名曲「白い雲のように」をカバーしたCDも発売するなど、ユニットとしても好調のようです。

ダチョウ倶楽部のメンバーであった故・上島竜平が同年5月に急逝。ダチョウ倶楽部のリーダー・肥後克広が追悼コメントで「ダチョウ倶楽部は解散しません!」「2人で純烈のオーディションを受けます」と発し、酒井一圭がこれに反応したことがユニット結成のきっかけです。

純烈のリーダー・酒井一圭は同年6月に出演した「ポップUP!」で、純烈はファンとの交流でエネルギーをもらったと説明。「ダチョウさんにも、マダムのハイタッチとかで元気になってもらえないかなって」と結成に至った心境を語りました。

歌唱力やパフォーマンスはもちろん、温かい人間性やエンターテイメント性も魅力となっている純烈。今後も長く愛され続けるのではないでしょうか。

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