柏木由紀子が再婚しないワケ!日航機墜落事故で逝った夫・坂本九が遺した娘たちとの現在は?

柏木由紀子が再婚しないワケ!日航機墜落事故で逝った夫・坂本九が遺したもの


柏木由紀子のプロフィール
◆生年月日:1947年12月24日
◆出身:東京都
◆身長:160cm
◆血液型:A型
◆所属事務所:坂本九音楽事務所

柏木由紀子が再婚しないワケ!日航機墜落事故に夫・坂本九を奪われた悲痛

女優の柏木由紀子(かしわぎゆきこ)は、1947年12月24日生まれ。子供の頃はカナリア児童合唱団に所属しており、小学5年生で劇団若草に入団しました。そして17歳の頃、1964年12月公開の映画「明日の夢があふれている」で映画デビューを果たし、翌年の1965年12月には「若い真珠」でレコードデビューを果たしています。

1966年4月に放送を開始したドラマ「東京の人」でヒロインに抜擢されると、多くのテレビドラマに出演。1971年12月に歌手で俳優の坂本九と結婚してからは女優としての活動は減ったものの、妻として夫・坂本九の歌手活動と福祉活動をサポートしていました。

しかし、1985年8月12日に発生した日航機墜落事故で、坂本九は帰らぬ人に。あまりにも突然の別れに、柏木由紀子は以後10年近くもの間、夫の死を受け入れられずにいたといいます。

2019年8月8日放送の「直撃!シンソウ坂上」に出演した際に、再婚しなかった理由について聞かれると、柏木由紀子は「(坂本九の)存在が大きいから」と回答。柏木由紀子にとって夫・坂本九は、どれだけ時間が経ってもなお、大きすぎる存在なのでしょう。

柏木由紀子に夫・坂本九が遺した名曲!あの笑顔に支えられた30年の壮絶人生

柏木由紀子にとって、日航機墜落事故は、まさに青天の霹靂でした。38歳で未亡人となって以来、悲しみに暮れ、残された2人の娘と共に泣いて過ごす日々。そんな辛い気持ちを救ってくれたのは、坂本九が遺してくれた音楽でした。

事故当日、夫・坂本九は新曲「心の瞳」を、ラジオの公開収録で初めて披露していました。柏木由紀子によると、生前、坂本九はこの曲を「僕たち(夫婦)の歌」と表していたそうで「由紀子が聞いたら泣いちゃうよ」と話していたのだといいます。

事故から3週間後にラジオで流れたのをきっかけに、この「心の瞳」は全国的に聴かれるようになりました。すると、柏木由紀子には、ファンからの5000通にも及ぶ激励の手紙が送られてきたそうです。

生前、歌と同様に、笑顔でファンを魅了してきた坂本九。「夫に褒めてもらえるように、毎日笑顔で過ごして行こう」と誓った柏木由紀子は、坂本九の自慢だった2人の娘たちと、ファンの想いを守るべく、再び芸能界に復帰することを決意しました。

30年以上経ってもなお、柏木由紀子は、夫・坂本九が遺した家を修繕して住み続けています。ガレージには、生前の坂本九が乗っていた”9”のナンバーが付いたままのベンツが、今でも眠っているそうです。

坂本九が遺した”成功の証”を守りたい想いもあり、そうすることで、夫に守られている気がするという柏木由紀子。再婚は、夫への”感謝”に代わる拠り所とはなり得ないのでしょう。

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柏木由紀子に坂本九が遺した愛娘たち、舞坂ゆき子と大島花子の現在は?

柏木由紀子は自力収入で娘たちを育て上げ、豪邸の建て替えまで!

柏木由紀子は、夫・坂本九を亡くして以来、女手一つで娘たちを育てながら、家を守り続けました。坂本九が遺した豪邸を維持するだけでも相当な苦労が想像されますが、建て替えも行っているという話。生前の坂本九の活躍を考えると、収入面の苦労はなさそうにも思えます。

ところが、柏木由紀子の話では、実際の印税収入は、それほど多くないのだとか。そのため、一家を支える主な収入源は、坂本九音楽事務所に所属する柏木由紀子の芸能活動。本業の女優として、ドラマや映画、舞台出演を続けながら、講演会や執筆活動と、寝る間も惜しんで働き続けたのだといいます。

その傍らで、ボランティア活動に一生懸命だった坂本九の遺志を継ぎ、自らも、家族を失った悲しみに暮れる人々を支える活動を行っているそうです。

柏木由紀子の娘たち、舞坂ゆき子と大島花子の現在!その姿が感動を呼ぶ!!

柏木由紀子の長女・大島花子が選んだ道は、父親と同じ歌手でした。大島花子はシンガーソングライターとして、現在もCDリリースやライブ活動を行っています。2020年10月30日には、自身初のオンラインライブを開催しました。

次女・舞坂ゆき子は、宝塚歌劇団出身の歌手であり、女優。宝塚退団後はテレビドラマや舞台にも出演していましたが、現在は育児に重きを置いているのか積極的に芸能活動を行っているわけではないようです。

日航機墜落事故当時、小学校3年生と6年生だった娘たち。彼女たちの中にも、父親を失った経験は、常にトラウマとして生き続けていました。それと同時に、生前の坂本九の歌声と、亡き夫を想って強く生きる柏木由紀子の姿は、生きる指標にもなっていったのです。

柏木由紀子は、2人の娘と家族ユニット「ママエセフィーユ」を結成して、坂本九の曲を伝えるコンサートを続けています。

一方で、柏木由紀子にプレゼントされた愛犬に、父親を亡くした悲しみを癒された舞坂ゆき子は、「人と動物の絆」をテーマにした活動も。大島花子が、「グリーフケア」として、東日本大震災の被災者に寄り添った活動をするのも、両親から受け継いだ心です。

現在は結婚して、それぞれ1児の母となっている舞坂ゆき子と大島花子。2019年11月12日の舞坂ゆき子のブログには、母、姉、甥、息子の4人とともに、”バースデーディズニー”を楽しむ様子が投稿されていました。11月10日が誕生日の舞坂ゆき子。家族そろっての”バースデーディズニー”は、毎年11月の恒例行事になりつつあるのだとか。

柏木由紀子にとってもまた、娘や孫たちと過ごす特別な1日になっているかもしれません。坂本九の忘れ形見である娘たちを、再婚もせずに立派に育て上げた柏木由紀子の信念に、心を動かされない者はいないでしょう。

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柏木由紀子と坂本九のなれそめや結婚生活!「上を向いて歩こう」は永遠の名曲

柏木由紀子と坂本九のなれそめ、結婚生活

柏木由紀子の女優デビューは、1964年。17歳で出演した映画「明日の夢があふれている」でした。柏木由紀子が、昭和の大スター歌手であった夫・坂本九と出会ったのは、1970年1月より放送を開始したドラマ「細うで繁盛記」の撮影所。柏木由紀子に一目ぼれした坂本九の猛アプローチの末に交際がスタートし、1971年12月にめでたく結婚となりました。

家事を全くやったことがなかった柏木由紀子にも、坂本九は、常に笑顔を絶やさなかったといいます。結婚後は女優活動を減らし、坂本九の歌手活動と福祉活動を支えてきた柏木由紀子。「24時間テレビ・愛は地球を救う」でパーソナリティとして活躍する傍ら、1973年、1976年と2人の娘にも恵まれ、結婚生活は幸せそのものでした。

母の日に坂本九が柏木由紀子にプレゼントしたのは、「マイ由紀子」という曲。子供が寝静まった後に、2人で曲のレコーディングをすることもあったのだとか。2人はこの後、悲しい運命を辿ることになりますが、一緒に暮らしている間は、たくさんの幸せな時間を過ごすことができていたのではないでしょうか。

柏木由紀子を励ました「上を向いて歩こう」は永遠の名曲

坂本九の代名詞とも言える楽曲「上を向いて歩こう」は、国内のみならず世界的にも知られている名曲です。レコードが発売されたのは、1961年10月。瞬く間にヒットとなり、その後も数々のアーティストによって今日まで歌い継がれています。

アメリカでも「SUKIYAKI」のタイトルでレコードが大ヒットし、Billboard Hot 100で1位を獲得しました。これまでにBillboard Hot 100で1位を獲得した日本人は、坂本九ただひとりです。

2020年6月15日には、柏木由紀子がブログを更新。「『上を向いて歩こう(SUKIYAKI)』が、米ビルボード週間ランキングで1位を獲得した日です」と綴りました。

そしてレコードの発売から約60年が経った2020年。コロナ禍においても、この曲を耳にする機会がありました。八代亜紀ら15人の演歌歌手を始め、舞台俳優、一般人らが「上を向いて歩こう」を歌う動画を公開。柏木由紀子も、夫・坂本九の写真を壁に貼ってこの企画に参加しています。

「上を向いて歩こう」に励まされたのは、柏木由紀子ら家族だけではありません。日本中、世界中の人々が勇気を貰ったこのメロディと歌声は、次の世代にも歌い継がれていくことでしょう。

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