2022年9月6日 更新
森進一は歌手一家で若い頃は苦労人だった!息子Takaはワンオクボーカルで元ジャニーズ
◆出身:山梨県
◆メジャーデビュー:1966年6月20日
◆所属事務所:森音楽事務所
◆レーベル:ビクターエンタテインメント
森進一は歌手一家!若い頃は苦労人だった
森進一(もりしんいち)は中学校卒業と同時に、集団就職で大阪に出ています。俗に「金の卵」と呼ばれた若年労働者として、家族に仕送りするために職を転々とした苦労人の時代がありました。
1966年6月に「女のためいき」でデビュー。芸名の名付け親は元クレージーキャッツのハナ肇でした。本名の「森内」と「一寛」から一字ずつ取り、所属する渡辺プロダクション創業者・渡辺晋(しん)の名前を進と読み替え合成したのが、芸名誕生の由来です。
美声歌手が主流だった歌謡界で独特なかすれ声は衝撃的であり、一時期は否定的な声も出ていました。しかし、その後も1967年9月に発売した「命かれても」や、同年12月リリースの「盛り場ブルース」でヒットを連発し、1968年5月にリリースした「花と蝶」で、第19回NHK紅白歌合戦へ初出場の栄誉を勝ち取りました。
私生活では森昌子との間にもうけた3人の息子のうち、長男・森内貴寛は、ロックバンドONE OK ROCK(ワンオクロック)のボーカリストTakaとして活動中です。次男はテレビ東京の社員となり、三男・森内寛樹は、ロックバンドMY FIRST STORYのボーカリストとして活動しており、芸能界では歌手一家として知られています。
森進一の息子Takaはワンオクボーカルで元ジャニーズ
森進一の息子・森内貴寛は2001年にジャニーズ事務所へ入所し、2003年9月にNEWS結成時のメンバー9人のうちの1人に選抜されています。しかし同年12 月に学業に専念するという理由でNEWSの活動を休止し、ジャニーズを自主退所しました。
森進一の息子という話題性で入ってきたTakaが、ジャニーズグループのメインになることに対してバッシングを受けたのが理由という話もあります。2005年5月にONE OK ROCK、通称ワンオクへ加入し、2006年7月より芸能事務所アミューズへ所属しています。
メンバーの脱退などもありつつ、ワンオクは日本だけでなく世界で支持されるロックバンドになり、Takaも忙しく駆け回っています。
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森進一、森昌子とは再婚!前々妻は大原麗子!森昌子の離婚理由はコンサート?
森進一、森昌子とは再婚!前々妻は大原麗子
森進一の前々妻は女優の故・大原麗子でした。結婚生活は4年と短いもので、離婚理由は、多忙を極める中での互いのすれ違いとされています。森進一はこの頃、デビュー以来約14年間に渡り在籍した渡辺プロダクションから独立し、森音楽事務所を設立しています。
しかし、大手芸能事務所からの独立は、芸能界における自身の居場所と地位を失う、いわゆる「干される」というリスクを抱える行為。実際、森進一の活動も多くの苦難に見舞われることとなります。しかし、再起を賭けて1979年8月にリリースした「新宿・みなと町」がヒットを飛ばし、以降の活動に大きく弾みをつけました。同時期に、元所属事務所・渡辺プロダクションの大原麗子との交際がマスコミに取り沙汰されます。
そして1980年、森進一と大原麗子は結婚を発表。幸せの連鎖は続き、1982年11月に発売した松本隆作詞、大瀧詠一作曲「冬のリヴィエラ」がヒット作に。そのポップな曲調で、従来とは異なる新たなファン層を獲得しています。
歌手としては充実していたものの、実際の夫婦生活はすれ違いが積み重なっていたようで、1984年に離婚しました。離婚後に社会福祉活動に参加していた森進一は、その活動が縁で1986年10月に歌手の森昌子と再婚しています。
森進一と森昌子の離婚理由はコンサート?
森進一は結婚19年目の2005年3月から森昌子と別居、そして同年4月に森昌子と離婚しました。2006年4月に森昌子が出版した著書「明日へ」に離婚理由は、森進一とのジョイントコンサートで生じたすれ違いが原因だと綴っています。
森進一は2001年の「第52回NHK紅白歌合戦」で妻・森昌子と共演。それをきっかけに2002年から昌子とジョイント・コンサートを行うようになり、デュエットソングも2曲発表していますが、この時の夫婦間のいざこざが離婚の一因となったようです。これまでに2回の離婚を経験した森進一ですが、再再婚はあるのでしょうか。
森進一とマイファスHiroが親子対談!おふくろさん騒動を乗り越え現在の音楽活動は?
森進一と3番目の息子マイファスHiroが親子対談!「恋人はいますか」
森進一の三男・森内寛樹はマイファスことロックバンド・MY FIRST STORY(マイファーストストーリー)のボーカリスト・Hiroとして活躍しています。Hiroも兄・Takaと同様に2002年12月からジャニーズ事務所に所属、2005年まで活動していましたが、2011年8月にロックバンドMY FIRST STORY結成以降は、同バンドにてHiro名義でボーカリストとして活動しています。
2020年11月21日放送のテレビ番組松本人志と中居正広がMCを務める「~まつもtoなかい~マッチングな夜」にて森進一とHiroが親子初共演をし、父子のトークのほか、森進一の楽曲「襟裳岬」を歌うなど、両者のファンにはたまらない内容だったようです。
Hiroが10歳の時に森進一と森昌子が離婚し、以来、森進一とは離れて暮らしていたというHiro。番組内では父・森進一に「恋人はいますか」と質問。それに対し「いません」と答えた森進一に、Hiroは「(恋人がいてもいなくても)どっちでも大丈夫なんですけど、今の家にひとりで住んでるから寂しくないのかなとか…」と気遣っていたようで、父親想いの一面をのぞかせました。
森進一の「おふくろさん」騒動とは?
森進一の代表作の1つ「おふくろさん」。しかし、その「おふくろさん」をめぐり、勃発したのが世にいう「おふくろさん」騒動です。その発端は、2006年12月31日放送のNHK「第57回紅白歌合戦」で、「おふくろさん」を歌唱しましたが、その時に歌った歌詞が、オリジナルには存在しない台詞が無許可で足されていたと、同曲を作詞した川内康範が激怒。2007年2月に著作権の侵害を訴え、森進一が同曲の封印を宣言するまでに混迷化しました。
森進一と川内康範との付き合いは古く、森進一にとって、川内康範は芸能生活の大恩人。しかし、両者はついに和解には至らず、2008年4月に川内康範は88歳で逝去。遺族と和解し、結末が見られたのは2008年11月でした。
森進一は会見で「今後は川内康範のオリジナル作品のみ歌唱すること」を条件として、「おふくろさん」を含め川内康範が作詞した全33曲について、歌唱することを承諾された、と発表しています。
森進一の現在は?音楽活動も息子との関係も良好
2020年に歌手生活55周年を迎えた森進一ですが、これを記念して現在入手困難なアルバム収録曲も含め、森進一の未配信の全楽曲計503曲を11月から3か月に渡り、一斉に音楽配信しました。すでに配信されていた楽曲を合わせると、その数なんと775曲。55年間の軌跡をじっくり振り返ることのできる企画です。
同年6月17日にはシングル「昭和・平成・令和を生きる」をリリースし、大御所歌手として安定した活躍を見せています。
親子関係も良好なようで、Hiroとの対談以外にも2020年1月には自身のインスタで長男・Takaとのツーショットを公開。ワンオクの全国ツアーファイナル公演について「素晴らしかった」と投稿しており、歌手一家はお互いに尊敬し合っているようです。
これからも森進一、そしてその歌手としての遺伝子を引き継いでいる息子のTakaやHiroの活躍から目が離せません。
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