武藤嘉紀の中学、高校時代!サッカー経歴も輝かしすぎる!

武藤嘉紀の中学、高校時代!サッカー経歴も輝かしすぎる!

武藤嘉紀の少年時代!中学・高校の頃はどうだったのか?

武藤嘉紀(むとうよりのり)は、1992年生まれ、日本のサッカー選手です。生まれは東京都世田谷区で、親の教育方針から、3歳の時にスポーツ英才教育の幼稚園「バディスポーツ幼稚園」に入園します。小学校卒業までをバディスポーツサッカークラブで過ごした武藤嘉紀は、中学校入学の頃から、FC東京のユースチームに加入しました。

その後、一般受験を経て、慶應義塾高校に入学するも、慶應高校の部活には所属せず、FC東京ユースに在籍を続け、目覚ましい活躍を続けます。武藤嘉紀は、2007年のU-15高円宮杯得点ランキング2位というゴールメイクセンス、日本人平均では高めの身長179cmを活かした力強いプレーが持ち味です。ポジションも、もともとのオフェンシブハーフからサイドバックまで多彩で、チームのエースとして君臨しました。

2010年の時点で、実力は、すでに超高校級レベルだった武藤嘉紀は、FC東京2種登録を果たします。卒業と同時にプロ入りもささやかれましたが、本人の「プロは時期尚早」という判断もあり、そのまま慶応義塾大学へと進学しました。中学高校とまさにスーパーエースとして活躍した武藤嘉紀は、まさにサッカー界のエリートです。

武藤嘉紀のサッカー経歴が眩しすぎて目がくらむ!

武藤嘉紀のサッカー経歴は、イケメン慶応ボーイという本人の立ち居振る舞いを考慮してもなお、燦然と輝いています。慶應大学時代には、ソッカー(慶應ではサッカーを英国発音の伝統に則ってこう呼びます)部で得点を量産。大学選抜に選ばれて、海外戦を経験したほか、FC東京でも、特別指定選手として練習に参加しました。

2013年の夏には、大学在学中の身でありながらJリーグにデビュー。在学プロ契約という最高の「内定」を得ます。大学卒業後のプレーでも、破竹の勢いを見せている武藤嘉紀。新人でありながら、2014年度1年の活躍のみで、Jリーグベストイレブンに選出されるという快挙を成し遂げました。

武藤嘉紀本人は、この頃から海外移籍を志向し、自らのキャリアアップを計画しており、実際に、海外スカウトの目にも留まっていたようです。2014年の冬には、英国プレミアリーグのチェルシーFC、ドイツブンデスリーガのFSVマインツといった、欧州の名門チームなど4チームから移籍オファーがありました。

交渉の結果、武藤嘉紀は、FSVマインツに移籍を決定。チーム内でも競争率の高いフォワードワントップの重責を担い、ブンデスリーガ史上2人目となるハットトリックを決めた日本人となりました。大学卒業、Jリーグ、欧州クラブと、サッカーファンならば誰もが思い描くキャリアパスをすべて通ってきたのが武藤嘉紀です。

武藤嘉紀が名門・チェルシーを選ばなかった理由!結婚が衝撃的だった!

武藤嘉紀は契約の内容からチェルシーのオファーを蹴っていた!

武藤嘉紀は、Jリーグでベストイレブンに選ばれるほどの実力を持っています。それゆえ、Jリーグ2年目の移籍時には、海外名門クラブから声がかかりました。中でも特筆すべきは、やはり、英国プレミアリーグの名門中の名門、サポーターの支持も厚い、チェルシーFCからのオファーです。

同時にオファーを出していたブンデスリーガのFSVマインツも名門ではありますが、チェルシーFCは、あらゆるサッカー選手が憧れるチーム。武藤嘉紀自身も、将来のキャリアアップに向けて、プレミアリーグと、リーガ・エスパニョーラでのプレーを目指し、英語とスペイン語の学習には余念がなかったといいます。そんな武藤嘉紀ですから、チェルシーからのオファーは願ったりかなったりだったはず。

しかし、チェルシーの態度が、あまりにも冷たかったことが問題でした。Jリーグでは、非常に優秀な成績を残しているとはいえ、当時の欧州ではまだ無名だった武藤嘉紀に提示された年棒は一般選手の6分の1。実力評価はどうであれ、これでは買いたたかれている感じも否めない他、移籍してからの熾烈なポジション争いにモチベーションが保てません。一方、FSVマインツは、複数年契約で4億円を超えるビッグオファー。その結果、武藤嘉紀は、自分を成長させる世界レベルのクラブチームとしてマインツを選びました。

武藤嘉紀が結婚!お相手も含めその流れが非常にセンセーショナル!

武藤嘉紀は、サッカーの経歴でみても、すでにエリートの一流選手ですが、ルックスも、濃いマスクのさわやかイケメン。当然、女性からのオファー(?)も多かったようです。大学時代に日本代表入りが決まると、普段はサッカーに興味のなさそうな女子が、自分の学部以外からもやってきて、武藤嘉紀とのコンタクトを窺っていたといいます。

モテモテの武藤嘉紀ですが、本来は努力家で非常にストイックでもあり、お付き合いする相手にも、そういう自分を受け入れてくれる、しっかりとした女性を求めていたのでしょう。なんと、慶応大学在学中に知り合って、お付き合いに進んだ相手は、国会議員の娘でした。小学校の頃から、客室乗務員を目指して慶応大学に進んだというこの女性。在学中にプロ入りを決めた武藤嘉紀を、精神面でしっかりとアシストします。

もうこの頃から、2人の間には、結婚の意識があったようですね。大手航空会社の客室乗務員に就職が決まり、子供の頃の夢を果たした武藤嘉紀のお相手の女性は、武藤嘉紀がブンデスリーガ移籍を決めると、あっさりと退職。フードマイスターの資格を取り、ともに渡独して、武藤嘉紀をサポートすることを決めました。武藤嘉紀は、海外移籍直前の深夜に結婚のニュースを流したため、メディアも話題騒然となりました。

武藤嘉紀の今後は?懸念されるのはフィジカル面での戦い!

武藤嘉紀は、幼少期から何十キロも走り込み、自分を追い込んできたサッカー選手です。座右の銘には、棋士の藤沢秀行が残した「強烈な努力」という言葉を上げるほど、努力家の武藤嘉紀。FC東京でも、FSVマインツでも、縦横無尽にボールに、そしてゴールに絡んでいます。

そのハングリーさの証明ともいえるのが、武藤嘉紀の負傷の数々です。欧州リーグに移籍してからは、体躯が強靭な大きい選手との接触や、フィジカルのせり合いが増え、疲労が蓄積。その結果、2016年の6月には、右膝の靭帯が部分断裂してしまいました。サッカー選手にとって、膝の靭帯は、非常にデリケートな部位です。

ここを傷つけてしまうと、「爆弾を抱える」という言葉がぴったりなほど、同じような怪我を再発することが多くなります。残念なことに、武藤嘉紀もその例に漏れず、2016年W杯アジア予選の大事な時期に、欧州リーグ一次予選で、全治1カ月の右膝負傷を負ってしまいました。

このため、武藤嘉紀は、10月以降の日本代表参加を辞退。しばらくは治療に専念することになっています。スポーツ選手は身体作りが基本ですが、それを怠るような武藤嘉紀ではないはずです。おそらく欧州という世界レベルでの凌ぎの削り合いが、もともと強靭な武藤嘉紀のレベルよりもさらに上を行っていたということなのでしょう。

しかし、武藤嘉紀ならば、持ち前の粘り強さで壁を乗り越えることができるはず。来年度の日本代表戦では、武藤嘉紀の活躍する姿がきっと見られると思います。

関連記事

ページ上部へ戻る