2019年4月24日 更新
中根仁の現役時代の成績や応援歌は?大学時代からイップスに悩んでいた
中根仁の現役時代の成績や応援歌は?強肩強打の個性派選手!
パワフルな打撃と強肩の外野守備を売り物に、近鉄バッファローズと横浜ベイスターズで活躍した元プロ野球選手の中根仁(なかねひとし)。現役時代は球界屈指の打線を誇るチームに所属しながら、存在感をアピールしてみせた強打の個性派選手です。
宮城県仙台市に生まれた中根仁の出身高校は東北高校。後にチームメイトになる「大魔神」佐々木主浩が1学年下にいました。法政大学進学後は、キャプテンを務めるなど東京6大学リーグ春秋連覇に貢献し、1988年のドラフト会議で近鉄から2位指名を受けてプロ入り。いてまえ打線では主に下位を打ち、強肩外野手としても実力を発揮しました。
しかし、調子に波があることや故障が災いし、レギュラーの座には届かずじまい。1997年オフには、横浜の主力投手だった盛田幸希とトレードされました。翌1998年は、主に対左ピッチャー要員で起用され、70試合出場ながら、得点圏打率が4割8厘と抜群の勝負強さを発揮。
マシンガン打線の中でも見劣りしない打力を見せつけ、チーム日本一に貢献しました。2000年には、キャリアハイとなる109安打、打率3割2分5厘を打つなど奮闘しましたが、次第に若手の台頭を感じて引退を決意するようになり、2003年シーズン限りで現役生活にピリオドを打っています。
生涯成績は、実働15年で1092試合に出場。2714打数717安打78本塁打351打点、通算打率2割6分4厘を残しました。中根仁の近鉄時代の応援歌は「闘志爆裂 敵に火花ちらして 炎の男 その名は中根仁」とむせかえるような熱い歌詞です。対する横浜時代は、「走る風になれ 光る星になれ 夢を乗せて大空へ 虹をかけてくれ」と爽やかな歌詞へと変わっているのが、チームカラーを感じさせて面白いですね。
中根仁は大学時代からイップスに悩んでいた!キャリアを積み重ねる中で対応方法を発見した?
豪快なプレーで活躍した中根仁は、実はある苦悩を抱え込んでいました。それはイップスです。もともとはゴルフから出た言葉ですが、野球では、自分の意図したように送球できなくなる状態を言います。あの天才イチローも、一時期はイップスに悩まされたほどですから、なかなか厄介です。
中根仁のイップスは、大学時代にまでさかのぼります。トスバッティング練習で、ボールのトスができなくなり、プロになると、ルーキーイヤーのオープン戦で送球ミスを連発。ベースカバーに入る野手への送球はOKでも、中継プレーでカットマンに送球することに恐怖感を覚えるようになっていきました。
通常、イップスを抱えた選手は外野に転向するものですが、外野手がイップスに悩んだ場合の対処法はほとんど聞きません。その後も、大暴投を演じるなど深刻さを増しましたが、幸いなことに、近鉄の豪快なチームカラーによって精神的に救われたと言います。
ワイワイガヤガヤと酒を飲みながらストレスを発散し、仲間にも打ち明けられるようになった中根仁は、近鉄でのプレーを続行しました。「今いるチームが近鉄じゃなかったら、イップスはもっと悪化していたかもしれない」と明かした中根仁は「イップスもカツラと同じで、下手に隠してもバレます」と持論を展開。「悩んでいる選手は『そんなの普通でしょ?』という感覚で臨めばと思いますね」と語りました。
しかし、キャリアを積み重ねる中で、イップスへの対応方法をいつしか発見した中根仁。「ボールを捕ったら、キャッチャーみたいにボールを耳のあたりまで持っていきます」ときて、「そこからシュートを投げるんです」と続けています。悩むとどんどんハマって行きがちですが、こういう対処法があることを知っておくだけでもかなり楽になるのではないでしょうか。
中根仁の妻は堀ちえみの妹!現在はマルチに活躍中!
中根仁の妻は堀ちえみの妹!子供の情報はオープンにされていない?
野球選手の妻には、女子アナや芸能人など華やかなキャリアを持つ女性が多くいますが、中根仁の妻は元タレントの堀一美です。ピンと来ない方も、「堀ちえみの妹」と言えばお分かりになるでしょうか。堀ちえみは、1980年代に活躍して人気を博した元アイドル。
同期には、小泉今日子や三田寛子、松本伊代、早見優、中森明菜、石川秀美、シブがき隊といった豪華な顔ぶれがそろっています。何と言っても主演ドラマ「スチュワーデス物語」が有名で、劇中の「ドジでノロマな亀」というセリフが流行語になるほどの人気ぶりでした。
現在は、7人の子供を持つ母親となり、家庭生活とタレント活動と両立させています。そんな義理の姉に持つ中根仁ですが、堀ちえみの妹である妻については、すでに芸能活動を引退しているためか、子供の有無も含めて公表されている情報はほとんど見当たりません。
中根仁は現在、マルチな活躍ぶり!アスリート総合応援サイトの運営に野球解説、健康器具販売も
現役を引退してからの中根仁はマルチな活躍を見せています。横浜のスカウトを2年務め、1軍と2軍でコーチを8年間歴任した中根仁は、今では、アスリート総合応援サイトの運営や野球解説を精力的にこなし、映画出演まで果たす活躍ぶりです。コーチ時代から「球界OBが経営する飲食店などを紹介するサイトがあればいいな」と考えていた中根仁は、コーチ契約終了後にサイト運営を開始。引退したアスリートが経営する店の情報をアップしていきました。
しかし当初は、運営に四苦八苦し、費用を持ち出ししてやり繰りする状態が続いたと言います。やがて、試行錯誤する中で検討を重ね、サイトの内容を大幅にリニューアルし、アスリートのセカンドキャリア支援も含めた総合応援情報サイトとして再出発を果たしました。
サイト運営だけにとどまらず、プロ野球OBによる解説が楽しめるネット動画配信サービス「OBTV」では、野球中継を担当。視聴者のコメントをよく紹介するため、「コメントGM」と呼ばれて親しまれています。さらに、健康器具販売も手掛ける他、知人の会社で営業を手伝い、映画にも出演するなどしている中根仁は、充実した第2の人生を過ごしていると言えるでしょう。
中根仁がプロ野球で稼ぎ続けたことに「実感はない」理由とは?
中根仁には、プロ入り時点で、不動産投資に手を出して失敗したという過去があるそうです。近鉄入団時の契約金をそっくりそのまま不動産投資につぎ込んだものの、気が付けばバブル崩壊で借金を抱え込むという惨状に。結婚当初は妻に打ち明けられずにいましたが、やがてバレてしまったそうです。
多額の借金を返済するため、近鉄在籍中は「稼いでいる実感がなかった」と振り返る中根仁。ただでさえ、なかなかアップしない年俸の半分は税金で持って行かれ、遠征では後輩におごらなければならないとなれば、手元にお金が残らないのも道理です。
それにもかかわらず、一口馬主が流行った時期には、出資したものの、対象の馬が1回もレースに出ることなく損をしたという苦い思い出も。状況が変わり始めたのは横浜に移籍してからです。近鉄では最高4500万円だった推定年俸も、横浜では移籍2年目には8000万円にアップ。試合で活躍した際の報奨金も、近鉄時代の3倍出たと言い、さぞモチベーションも上がったことでしょう。
しかし、プロ入りしてから相次いだケガとの闘いに加えて、プレーに気持ちが入らなくなり始めていたのも事実。狙っていたストレートを見逃したり、三振に悔しさを感じなくなったりの繰り返しでした。こうして、中根仁が現役を引退したのは37歳。15年間のプロ生活で稼いだ年俸総額は6億円超に上りますが、それでも「稼いだという実感は全くない」と語っています。
そんな中根仁は「プロ野球で活躍する後輩にアドバイスを送るとしたら?」という質問に「とにかくファンを大切にすること」と回答。「ユニフォームを脱ぐと、ファンのありがたみを実感する」という答えに、今まで歩んできた人生が凝縮されているように思われます。この姿勢をキープし続ければ、彼のセカンドキャリアでの成功は間違いないでしょう。