2021年1月11日 更新
八木早希アナが毎日放送を退社した理由!結婚した旦那はどんな人?子供は息子が2人!
◆出身:大阪府
◆身長: 167cm
◆血液型:B型
◆出身大学:同志社大学部英文科
八木早希アナは毎日放送「名誉職員」!退社した理由とは?!
八木早希(やぎさき)アナは、毎日放送(MBS)に、2001年に入社した女性アナウンサーです。関西圏の情報番組や、バラエティ番組で活躍した後、2011年に、フリーへ転向しました。
毎日放送を退社した理由は「10年という節目に局アナウンサーの域から、もう少し幅を広げられるよう新しい道を探る決心をしました」というもの。家族との時間を増やしたいという側面もあったのだろう、との報道もありました。
10年間アナウンサーとして勤務した八木早希アナを、毎日放送は「名誉職員」として扱うことにしたそうで、円満退社だったようです。
八木早希アナが結婚した旦那はどんな人?結婚式の様子がテレビでオンエアされていた
八木早希アナは、毎日放送に勤めていた2007年5月に結婚しています。結婚した相手は、当時、大学病院の整形外科勤務だった医師です。その後、八木早希アナの旦那は独立して開業医になりました。
現在、八木早希アナの旦那は大阪府松原市にある整形外科・胃腸内科クリニックの院長となっています。クリニックのホームページには、さわやかでイケメン風な写真が掲載されているほか、八木早希アナのインスタにも、子供とともに顔出しで写っています。
結婚するにあたっては、番組の共演等でゆかりの深かったやしきたかじんに相談したという八木早希アナ。そのため、やしきたかじんが、仲人や、八木早希アナの結婚式のプロデューサーを務めることになり、結婚式の様子は、「たかじんのONE MAN」でも放送されました。
八木早希アナの子供は男の子2人!
八木早希アナは2016年7月31日に第一子を出産しました。八木早希アナが結婚10年目にして授かった念願の第一子は男の子で、3800グラムもあるビッグベビー。陣痛は27時間という長丁場でしたが、お産自体はいきんでから20分の安産だったとのことです。
その後、八木早希アナは、出産後わずか2カ月で仕事に復帰しており、妊娠中に12kg増えたという体重も、2カ月で元に戻したそう。
そして2018年5月21日に第二子となる次男を出産しています。産後、デイリースポーツの取材に「2人目とはいえ、出産を迎える不安と新しい命を頂いた感動は初めてと同じでした」と明かしていました。
「元気な産声をあげた後、穏やかに眠る赤ちゃんを見て、世の中がこの子にとって安心できるものであるように見守っていきたいと思いました」と子供の未来について思いを馳せていたようです。
男の子2人の母となった八木早希アナは出産直後「『10分おきにケンカする』とも聞く男兄弟を育てるとはまだ想像もつきません」と、これから始まる男兄弟の育児について語り、「嵐のような子育ての毎日をできるだけ楽しめるよう努めたいと思います」と、母として子供との時間を楽しもうという決意を新たにしていました。
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八木早希アナの英語と韓国語が堪能なワケ!韓国語力を生かした活躍がすごかった
八木早希アナが英語、韓国語が堪能なトライリンガルであるワケとは?
八木早希アナは語学が堪能で、英語・韓国語・日本語を操る、バイリンガルならぬトライリンガルです。毎日放送に入社後、初めてこなしたアナウンサーとしての仕事は、ニューヨーク同時多発テロのためのアメリカロケへ通訳としてやしきたかじんに同行したことでした。
八木早希アナが英語を堪能に話せるワケは、アメリカで生まれ、6歳までの幼少期をロサンゼルスで過ごし、加えて高校2年生から3年生のおよそ1年の間、アメリカのシアトルへ留学していたためでした。英検1級も持っています。
さらに小学4年生からの3年間を韓国で生活していたため、韓国語も堪能です。八木早希アナはトライリンガルとして、出演番組で英語・韓国語の通訳や外国人俳優・アーティストへのインタビュアーを担当する機会も数多くありました。
八木早希アナの韓国語力を生かした活動がすごかった
韓国に住んでいた3年間は、日本人の学校ではなく韓国の小学校に通うことを選び、現地の習慣に合わせて友達をつくるために習い事を8つほど掛け持ちしていたという八木早希アナ。その経験はアナウンサーになって大いに生かされることになったのです。
八木早希アナは2004年10月から2009年3月まで韓国を紹介するラジオ番組「チョアヨ!韓国」を担当し、放送終了後も2011年3月までMBSラジオのポッドキャストで配信されていました。同番組放送中の2006年4月からは、MBSラジオがポッドキャスト向けに配信する韓国語講座の講師も担当しています。
この番組の終了後も、「チャムケンチャナヨ!韓国語」とタイトルを改めながら2011年3月の退職まで講師を続けました。2012年4月から6月まではNHKラジオの「まいにちハングル講座」も担当しています。
また2008年10月17日にアルクより「八木早希のチョアヨ!旅する韓国語」を出版。ワニブックより2011年11月27日に「八木早希韓国ガイド 暮らすように旅するソウル」を出版するなど、本も多数出しています。
毎日放送退社までに韓国に出向いた回数は100回以上。ウォンビン、BIGBANGといったスターへの取材も担当しました。英語が得意なアナウンサーは増えてきていますが、韓国語も講師レベルというアナウンサーは貴重で、八木早希アナのキャリアのなかでの強みとなったのは間違いないでしょう。
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八木早希アナのインスタには子供の様子も出演情報も満載!アナウンサーを目指したきっかけは?
八木早希アナのインスタには子供の様子も出演情報も満載
八木早希アナは自身のインスタに、番組で共演したキャストと一緒に撮った写真を載せたり、アナウンサーらしいポーズで撮った写真を投稿したりしています。
インスタには、八木早希アナの出演情報も満載。一方、仕事での写真だけでなく、時には愛息2人の写真もあり、プライベートでは母親として充実した生活を送っていることもうかがえます。
2020年5月には、子供が洗面所を泡だらけにしている写真に「家が遊び場、倍掃除する自粛期間。子供の笑顔が、親の幸せです。泡はまるごとお風呂掃除へ」というコメントをつけ、子供のやんちゃぶりがわかる様子を投稿。新型コロナウイルス拡大の影響による自粛生活中も、子供との生活を楽しむ余裕のあるママぶりを披露しています。
インスタには子供2人と一緒に戯れる笑顔の写真などもアップされています。第二子誕生時に語っていたように、育児にストレスを感じるのではなく、今この時ならではの子供の言動を楽しみながら母親業をこなしているようです。母となった八木早希アナは、ますます女性として輝いています。
八木早希アナがアナウンサーを目指したのは人との出会いに魅力を感じたから!マルチな活躍
八木早希アナがアナウンサーを目指したきっかけは、小学4年生の時にテレビでソウルオリンピックを観て、女性陸上選手・ジョイナーに憧れたのがきっかけだとか。彼女が優勝した次の瞬間、マイクを持った人が駆け寄ってインタビューを始める様子を目にして「マイク持てばジョイナーと喋れるんや!」と思ったそうです。
「世界中の人と会いたい、普段会えない人と話をしたい」と感じたという八木早希アナ。職種のイメージとしてアナウンサーに憧れ、目的地として目指したというよりは「アナウンサーになることで色々な人と出会える」というポイントに魅力を感じたようです。当時の夢を叶え、アナウンサーになってからはその語学力を生かし、各国の有名人にインタビューも行っています。
フリーになってからは直接的なアナウンス業務以外にも幅広く活躍しており、女性向けファッション誌「GINGER」では2017年4月より「言葉は女の武器になる!」という連載をし、大人の女性が身に付けておきたい言葉のマナーなどについて独自の考えを語っています。
また、産経新聞関西版では2014年4月より3週に1回のペースで「女子的 トライアングル」というコラムを執筆し、文字のメディアでも活躍。東京都教育委員会が主催する講義に講師として参加したり、局アナ受験対策のスクール「セイアカデミー」で講師を務めたりなど、言葉の力で人の魅力を引き出す活動をしています。
八木早希アナはテレビドラマにも出演したことがあり、2016年11月25日にNHK総合テレビで放送された「コピーフェイス~消された私~」の第2話に劇中で放送される情報番組の司会役として出演しました。この時には主演の栗山千明や、佐藤隆太に、チームの一員としてあたたかく迎えられたことがうれしかったと語っていました。
いつも人との出会いを楽しみ、様々な分野でその力を発揮している八木早希アナ。これからもフリーアナウンサーとして、カッコよく活躍していくことでしょう。
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