吉川元浩が大会史上2人目の連覇達成!専業主夫を経験していた!?

吉川元浩が「専業主夫」を経験していた!?趣味の釣りを我慢していた理由とは!?


吉川元浩のプロフィール
◆生年月日:1972年9月7日
◆出身:兵庫県
◆身長・体重:164cm・50kg
◆血液型:O型
◆総理大臣杯連覇(2019~2020年)

吉川元浩が「専業主夫」を経験していた!?

競艇選手の吉川元浩(よしかわもとひろ)はフライングによる30日間の休みにより、2019年の「SGチャレンジカップ」で選出除外となってしまいました。復帰戦となった「プレミアムG1」で、前検日の計量に臨んだ吉川元浩は49.8kgと万全な仕上げを見せます。

今までのベスト体重よりも1kg以上落とした結果に、どのような調整を行ってきたのかと質問された吉川元浩は「専業主夫をしていた」と意外すぎる答えを返しています。

吉川元浩が「専業主夫」の時期に趣味の釣りを我慢していた理由とは!?

吉川元浩がフライング休みをしていた時期に専業主夫をしていたことに、ファンの間でも驚きが広がりました。というのも吉川元浩は釣り好きとして有名で、数多くの釣り番組に出演している他、「大阪湾タチウオキングバトル2017」で10位に入賞するなど、釣り人としての実績を持っています。

現役のボートレーサーには貴重な数少ない休日を、ほぼ釣りに費やすと話したこともあるほどの吉川元浩がフライング休みの間、釣りではなく専業主夫をしていたのは一体なぜなのか、多くのファンが疑問を持ったことでしょう。

その答えは、嫁の怪我でした。吉川元浩には2人の息子もいることから、休みの間は洗濯や掃除はもちろん、犬の散歩など家事の一切をしていたといいます。「SGチャレンジカップ」の前検日に万全な体重調整となったのが主夫業のおかげとは、誰も予想できなかったのではないでしょうか。

競艇選手として活躍する吉川元浩を内助の功で支える嫁の様子は2009年3月19日に放送されたTBS系列のドキュメンタリー番組「バース・デイ」で紹介され、大きな反響を得ました。家族の支えにより第一線で活躍するトップ選手にまで上りつめた吉川元浩。嫁の怪我で必要に迫られたとはいえ、1ヶ月の主夫生活でこれまでの恩を返せたのではないでしょうか 。

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吉川元浩の期別成績は!?プロフィールも紹介!

吉川元浩の期別成績にみる抜群の優勝確率

吉川元浩の2019年の期別成績をみてみると、115回の出走回数に対して1着が27回、23.5パーセントと他に類を見ない勝率に目を見張ります。また、出走したほとんどのレースで上位入賞を果たしており、3連対率も60パーセントと高い数値になっています。

出遅れ回数が0回というのも、吉川元浩の好調な成績を支える大きな要因といえそうです。出走するレースで争う各選手のマークが厳しい中、常にトップ争いに食い込み、結果を出し続けるのは並大抵のことではないでしょう。

吉川元浩のプロフィールを紹介!

吉川元浩は1972年9月7日生まれ、兵庫県の出身です。高校卒業後、建築会社に勤務していましたが阪神大震災で自宅が全壊。避難所生活を余儀なくされ、職場も大きな被害を受けたことで順調だったサラリーマン生活が一転します。

そんな中、会社の同僚に競艇の道を勧められた吉川元浩は養成所の試験を受け、見事1回で合格。10代半ばの入学者が大半の競艇学校に年齢制限ギリギリ22歳で入り、卒業する時の成績はトップクラスだったといいます。

1996年11月に競艇選手としてデビューした吉川元浩は初出走で1着を獲って早くも頭角を現し、翌1997年4月に初優出。1999年1月に初優勝を飾り、2001年5月には浜名湖競艇場で開催された「笹川賞競走」でSG初優出し、トップ選手への階段を順調に上っていきました。

そして2007年のクリスマスイブ、福岡競艇場で行われた「第22回賞金王決定戦」で1号艇を獲得した吉川元浩は断トツ1番という大きなプレッシャーがかかる中、SG初優勝を果たします。

その後もトップ選手として活躍し、2017年4月の「第8回芦屋町長杯争奪戦」で通算70回目の優勝。史上17人目となる全国24場制覇を成し遂げました。

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吉川元浩が前人未踏の3連覇達成なるか、注目必至

吉川元浩は2020年3月22日に平和島競艇場で行われた「SG第55回総理大臣杯」に出場し、前年度優勝に続く連覇を達成。この優勝により、同レースでは通算2000勝を挙げた西島義則以来22年ぶり、2人目となる連覇を成し遂げました。

レース後のインタビューで「珍しくエース機を引いて、その時から何かが後押ししてくれている感覚があったし、目に見えないパワーを感じていた」と涙ながらに語った吉川元浩は、連覇に向けて大きなプレッシャーを感じていたことも明かしています。

また、2020年2月に尼崎競艇場で行われたレースで自艇が転覆し、48歳で逝去した競艇選手の松本勝也に対しても「いい報告ができる。たぶん喜んでくれていると思う」と語り、選手の間で人望が厚く、吉川元浩も兄のように慕っていた名選手を偲びました。

吉川元浩が語った「見えないパワー」は、勝利の女神だったのでしょうか。運に左右されるところもまったくないとは言えないレースの世界ですが、数々の賜杯を手にした吉川元浩の実績は、長年のレース経験と技術がなければ成し遂げられるものではありません。2021年の総理大臣杯で優勝し、前人未到の3連覇を達成する姿を見られるのか、今後の活躍に注目が集まります。

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