2021年8月13日 更新
サニブラウン・アブデル・ハキームはアメリカの超名門フロリダ大学に進学!理由は?
◆出身:福岡県
◆身長・体重:190cm・83kg
◆血液型:非公表
◆出身大学:フロリダ大学
◆所属:タンブルウィード トラック クラブ
サニブラウン・アブデル・ハキームはフロリダ大学に進学!
サニブラウン・アブデル・ハキームは男子陸上競技界の短距離走で活躍する、日本期待のトップアスリートです。
城西大学附属城西高校1年生だった頃に、100m10秒台を記録。16歳にして世界陸上競技選手権大会の日本代表に選出され、高校卒業後の進路が注目されたサニブラウン・アブデル・ハキームが進学先に選んだのは、アメリカのフロリダ大学でした。
2017年の秋からフロリダ大学に進学し、それに伴って練習拠点もフロリダ州ゲインズビルに移しています。
サニブラウン・アブデル・ハキームがフロリダ大学を選んだ理由は?
サニブラウン・アブデル・ハキームがフロリダ大学を選んだ理由は、陸上選手としての環境の魅力的だったことだけではありません。スポーツ経営学に興味があったことが、大きな決め手となったそうです。
フロリダ大学を含め、アメリカの多くの大学にはスポーツ奨学生のための学習施設があり、そこには学業のアドバイザーやチューターが多数常駐しています。
アドバイザーが生徒に授業の組み方などを指導するほか、学業優秀な生徒がチューターとして勉強の手伝いをすることもあるのだとか。学業に励みながらスポーツの才能を伸ばすためには、最適の環境が整っていると言えます。
スポーツの名門校として名高いフロリダ大学は、アメフト、バスケット、水泳などにおいて強豪校として知られており、大学のトレードマークである「アリゲーター(ワニ)」から「ゲイターズ」とも呼ばれて親しまれています。スポーツ飲料水の「ゲータレード」を生み出したのも同大学です。
サニブラウン・アブデル・ハキームが関わる陸上競技でも、リオ・オリンピックでOBも含め30人が出場しています。学問と世界レベルの陸上環境が揃ったフロリダ大学を選んだサニブラウン・アブデル・ハキームは、広い視野を持っていると言えるでしょう。
サニブラウン・アブデル・ハキームは大学を休学して東京オリンピックのために調整
サニブラウン・アブデル・ハキームは2020年7月に練習拠点を大学からフロリダ州ジャクソンビルにある、タンブルウィード トラック クラブへ変更したと公表されています。フロリダ大学を休学し、東京オリンピックに備えてアメリカ人コーチ・レイナ・レイダーに師事するためです。
レイナ・レイダーは2017年頃、当時まだ9秒台を出していなかったサニブラウン・アブデル・ハキームについて「もしこのまま成長すれば、東京五輪が終わった後、凄く有名になって、凄いお金持ちになっていると思うよ」と語っていました。
その後、実際にサニブラウン・アブデル・ハキームは才能を伸ばして、9秒台を連発。9秒97の日本記録も樹立しています。サニブラウン・アブデル・ハキームは先見の明がある一流コーチとの二人三脚で東京オリンピックに備えてきました。
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サニブラウン・アブデル・ハキームの母親も陸上経験者!プロフィールや経歴を紹介!
サニブラウン・アブデル・ハキームが陸上選手を選んだのは母親の影響?
サニブラウン・アブデル・ハキームは、ガーナ人の父親と日本人の母親の元に生まれました。プロサッカー選手だった父親の影響で、幼い頃からサッカーをしていたそうです。ポジションはフォワードだったといいますから、当時から俊足が認められていたのでしょう。
しかし小学校3年生の頃、サニブラウン・アブデル・ハキームは陸上競技へ転向します。母親に「チーム競技には向いていない」と陸上を勧められたのが、陸上の道に進んだ理由でした。サニブラウン・アブデル・ハキームの母親は、福岡の宗像高校時代に100mハードルと100mでインターハイに出場した元陸上選手です。
サニブラウン・アブデル・ハキームの母は、選手時代の知識を元に息子の活躍を食事面からサポートしてきたようです。2017年6月放送の「Going! Sports&News」で、成長期の食事面を重視し、食事トレーニングを行ってきたと明かしています。
サニブラウン・アブデル・ハキーム、大学までの歩み!
小学校3年生で陸上を始めたサニブラウン・アブデル・ハキームは、2014年に高校1年生で出場した、第69回国民体育大会の100mで10秒45という記録を収め、優勝を飾りました。
そして2015年7月にコロンビアで行われた世界ユース陸上競技選手権大会では100mと200mで大会記録を更新。一からフォームを矯正したトレーニングが実を結び、日本人選手初となる2冠の快挙を達成しています。
サニブラウン・アブデル・ハキームが新記録をマークするまで、同大会の200m記録保持者はウサイン・ボルトでした。加えて200mのタイムは日本高校新記録でもあり、桐生祥秀の持つ記録を塗り替えての優勝です。
この功績が認められ、サニブラウン・アブデル・ハキームは同年に国際陸上競技連盟が主催する「IAAF World Athletes of the Year for 2015」で、その年に活躍した新人に贈られる「RISING STAR AWARD」(新人賞)を受賞。翌2016年、フロリダ大学へ2017年の秋から進学することを発表しました。
2016年のリロデジャネイロオリンピックでは、世界ユースでの快挙によって、代表に選ばれるのではと言われていました。しかし、故障により代表選考会を兼ねた第100回日本陸上競技選手権大会を欠場し、つかみかけた五輪代表の切符を逃しています。
翌2017年、大学進学に伴いフロリダに練習拠点も移したサニブラウン・アブデル・ハキームは、同年6月に開催された第101回日本陸上競技選手権大会100mで自己ベストを更新する10秒05で優勝。200mでも自己ベストの20秒32で優勝し2冠を達成。前年欠場の悔しさを晴らしています。
同大会での短距離2冠は14年ぶりで、北京オリンピック男子4×100mリレー銀メダリストの末續慎吾以来の快挙でした。
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サニブラウン・アブデル・ハキームの年収水準は?東京オリンピックの悔しさをバネに飛躍?
サニブラウン・アブデル・ハキームは日本記録樹立後にプロ転向!年収のポテンシャルは?
サニブラウン・アブデル・ハキームは2019年5月にSEC屋外陸上競技選手権大会の100m決勝で9秒99を記録し、9秒台ランナーとなりました。同年6月にNCAA屋外陸上競技選手権大会で日本人初となる公認記録での2度目の9秒台をマークし、9秒97の日本新記録を樹立しています。
その後、2019年11月にプロへ転向を表明し、マネジメント会社「UDN SPORTS」と契約した、サニブラウン・アブデル・ハキーム。プロ選手になると全米大学選手権など全米大学体育協会(NCAA)の大会には出場できなくなるものの、スポンサー契約が可能になり、企業から金銭的支援を受けることができます。
サニブラウン・アブデル・ハキームは2019年11月にウサイン・ボルトと同じプーマ社とスポンサー契約を結んだことを発表しており、「同じブランドを着ることができて光栄。道をたどるわけではないけど、同じ頂点を目指す者として頑張っていければ」とコメントしています。
これからサニブラウン・アブデル・ハキームがどの程度の年収を得るのか明らかになっていません。しかしウサイン・ボルトが約37億円の年収を得たことがあるケースから考えると、これに近い収入を得るのも夢ではないのかもしれません。
サニブラウン・アブデル・ハキームは東京オリンピック200mに出場
サニブラウン・アブデル・ハキームは東京オリンピック開催前の2021年6月に「月陸オンライン」に掲載されたインタビューで「自分はまだ22歳。東京オリンピックを経て人として成長できるのが一番。ゴールではないですし、ここから自分がどうなっていくのか」とオリンピックだけにこだわっているわけではないという姿勢を見せていました。
2021年8月に行われた陸上男子200m予選では21秒41の2組6着となり、準決勝に出場できなかったサニブラウン・アブデル・ハキーム。さすがにこの結果には「オリンピックというより、多分普通に自分が、全然だめだったかなという感じ。ちょっと悔しいですね、さすがに」と、悔しさをにじませていました。
まだまだ若くこれから先が楽しみな、サニブラウン・アブデル・ハキーム。この東京オリンピックでの悔しさを武器に、さらに実力を磨き一流アスリートとして成長していくことでしょう。
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